宮本舞が創造した小さくて大きな宇宙
「箱のなかの庭」ZERO to INFINITY vol.2
5月11日 北沢タウンホール
正田千鶴グループのダンサーが放った久々の快作だった。宮本舞が海外研修の期間中にNYで立ち上げたZERO→∞シリーズの2本目、題して「箱のなかの庭」。この作者は、わずか2歳のときから師の手塩にかけられて今日に至ったというから、いわば子飼い中の子飼い、正田メソードの先導を担う重要な運び手の一人である。その才能がこの舞台を通して、ついにそのDNAに見事な花を咲かしてみせた感がある。まさしく正田ワールドの集大成といいたいところだが、どっこい、そこには宮本舞が手を加えたオリジナリティが随所に顔をみせ、その輝きがついに開花の2文字に値する成果、小さくて大きい宇宙を現前してみせる舞台となった。
最初に作品の概略を説明しておく。出演者は本人の宮本舞はもちろんだが、正田千鶴モダンダンスフラグメントの筆頭ダンサーである先輩格の妻木律子、およびそれに続く若手メンバーの野本詩織、柿下さやか等。そこへゲストとして関口淳子、桑島二美子など、昨今中堅モダンダンス界えり抜きの踊り手を加えた総勢10名の精鋭たちによるダンス空間。ただし出演者としては、上手袖にセットされたグランドピアノの奏者、音楽担当の男性篠田昌伸も一枚加わる。
プログラムは「生かされる始まり」「カオス」「点と線」「パラレル」「交錯と受動」「対峙」「アイデンティティ」「生きる始まり」と、いちおう8つの章に分けられている。しかし実際には、それらの中身はデュオ、ソロ、トリオ、カルテットからクインテット、さらに全員による群舞と、あらゆる身体のシャープで切れのよいボディ・ムーブメントであり、しかもそれが照明の変化と持ち運びの効くセットの活用によって、隙のないハイテンションの宇宙が出現、中幕なしの70分は最後まで息をつかせぬ迫力で観客を魅了した。
繰り返して言うが、ここで見落としてならないのは、正田メソードを軸とする身体表現を追いながら、さらに一歩先へ踏み込んだ新進作家宮本舞の、空間処理に見る抜群のセンスだ。そもそも正田一門の振り付けの特色は、本来そのはげしい直線性に集約される。これは肉体の内奥からほとばしり出る生命のエネルギーを、もっともストレートに身体に写し替えて見せた瞬間に可視化される現象で、いわばこの1点を基盤に正田藝術のコレオグラフィは成り立っているといっていい。
そのためこのグループのダンサーの動きには、真っ直ぐに下肢を引き上げるとか、急激に鋭角なボディの屈折を挿入するなど、常に直線をベースにして造型される振り付け上の特色があり、時にはなんだか体操競技かスポーツを見ているようだと言われたりもする。これは明らかに従来日本の伝統舞踊がもっとも得意とし、美的判断の尺度にする見た目の美しさ、しなやかな流れとは、いわば真っ向から対立する概念だともいえる。そしてこの美学は、とうぜん衣装のデザインや音楽の選定にも波及しており、そこでは際立った前衛と抽象性が常に主導権を握る。これを一口に言うなら、舞踊作品からいっきょに文学性を剥ぎ取り、身体をモノとして動かす以外に、何ら恣意的な解釈や付加値を認めないという、徹底した創作上の姿勢だといえる。
ただ無からダンスは生まれない。これらの発想と流れにはもちろん源流がある。少々長引くが、私の言わんとすることはこういうことだ。宮本舞が育った踊りの世界、その先生である正田千鶴は、周知のように江口系の出身である。この国の現代舞踊は、戦前に何人かの開拓者によって種子がまかれ、そこからいくつかの流派が生まれた。曰く、石井派、高田派、津田派、執行派 邦派、etc。そして戦後になり、それらの門下から大勢のダンサーが飛び立つことで、ここに過去1世紀にわたる日本の現代舞踊の歴史は作られているのだ。その発展と拡がりに中で、これまで最もおおきなシェアをしめ、おおくの有能な才能を世に送り出してきたのが、江口隆哉をピラミッドの頂点におく、いわゆる江口系のダンサーによる活動であろう。
そして指導者としての江口の立派さは、それまでの日本の舞踊に固有の伝授法であった“振り写し”には眼もくれず、彼が宮操子と連れ立ってドイツで学んだノイエ・タンツの体験から、日本人のダンサーたちにはじめて“形”ではなく“方法論”を学ばせた点にある。方法論さえ身につけ、それを忠実にフォローしさえすれば、あとはどんな素材の創作であろうと、どういう発想が作品に挿入されていようと、それは一向に構わないのである。ここから江口門下の若いダンサー100人からは、いわば100種のダンスが完成するという貴重な結果が生れた。こんにち江口流の息の掛かったダンサーたちが、列島各地にもっとも広く輩出している理由もまたここにある。