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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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宮本舞が創造した小さくて大きな宇宙
「箱のなかの庭」ZERO to INFINITY vol.2 5月11日 北沢タウンホール

日下 四郎 2012年5月22日

当時、江口隆哉が日本へ持ち帰った新しい舞踊はノイエ・タンツと呼ばれた。何のことはない、ドイツ語で‘新しい舞踊’という意味だけの言葉だが、もう少し仔細に述べると第1次世界大戦後にドイツ系の文化圏に広まった〔ドイツ表現主義芸術〕の流れを汲む新しい芸術上の発想であり運動なのだ。その特色はそれまでフランスを中心に、ヨーロッパにおける舞踊藝術の一枚岩であったバレエに対抗し、ダンスから技術主義と物語を徹底して排除し、身体そのものの存在感と物体性を最優先させた、当時としては極めて革新的な芸術手法にあった。

その近代性に興味を抱き、進んで集まった数ある江口一派の門下生の中にあって、正田千鶴はある意味で師が首唱したノイエ・タンツの基本原理を、もっとも忠実かつラディカルに実践した、数少ない振付家のひとりだと考えていい。そしてここでそのまたお弟子であり、いわゆる孫弟子にあたるダンサーが、この宮本舞というわけだ。したがってこれまで正田千鶴が振付ける〔モダンダンスフラグメント〕の舞台では、必ず先輩格の妻木律子とともに、出演者の一人として踊ってきた。そしてこの一門のダンサーに共通する身体表現の大きな特色が、師から伝えられ教え込まれた強烈なダイナミズムにあることは、上にも述べたとおりである。

さてここでようやく宮本本人のキャリアに触れる。長い修練を経て正田門下のメイン・キャラクターとして活動するダンサーとなった彼女だが、やはり’06年に文化庁派遣の研修先であるアメリカから帰国してからは、特にその舞台に個性が出てきた。本人プロパーの要素が、前面へ押し出されてきたのだ。そしてそれはここ1,2年、もはやソロの領域を卒業して、はっきりと周辺や空間との勝負に立ち向かっている姿勢がみえる(「verge」-2010-「parallel」-2011-など)。進んで共演のダンサーを起用、振付家としての力量のみならず、当然演出のセンスが問われることを覚悟で、自らの創作に立ち向かうようになってきたのだ。

その意味で今回の「箱の中の庭」には、この両分野におけるさらなる踏み込みが読みとれる。振り付けレベルでは従来の直線型メソードを核としながら、細部には微妙な変化と流線のカーブを加味しているし、ダンサーの動きを追って、周辺を方型で取り囲む照明(デザイン:小保内陽子)なども意欲的で新鮮。いっぽう折り込みの効く椅子を褐色の布で覆って用いるオブジェは、それ自体がすでにオリジナルであり、ダンサーとからめての多角的な活用には、並みでない非凡さを感じさせる。これまで紐や線を多用してなにかとエッジを強調したがる宮本美学から、1歩も2歩も前進した。そこへシールから下ろした白色照明の吊るしは、視覚上のポイントとして、舞台にいっそうの輝きを添えた。

クロージング・パートの見せ場は、上手袖に現われ、ピアノの生演奏で立ったまま舞い続ける妻木律子のソロである。踊り終えたその影は、引き続き中央のホリゾント側へと移動、そこで待ち受ける宮本舞と組んで、さらにデュオによるワン・ラウンドの熱演が展開する。激しくからみあう正田門下の才媛2人。ダンス・ファンなら垂涎の、まれにみる壮絶な終盤のクライマックスだ。しかしやがて眼前からすべてのダンサーの影は消え去り、フロアには今、天井からゆっくりと着地した白色のオブジェが、ただ一個冷たくとり残されているだけ。ゼロから無限、無限からゼロへ。疾風の化身宮本舞が駆け抜けた時間のあとの、これはラストを締めるにふさわしい沈黙の一瞬だった。(11日所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。