D×D

舞台撮影・映像制作を手がける株式会社ビデオが運営するダンス専門サイト

 

ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

73

第10回IDTF 2012:
ユニークな役割と成果をみせたシアターXのダンス・演劇祭 6月1~24日 シアターX

日下 四郎 2012年6月29日

下町は隅田川の左岸、両国の一郭に墨田区の民営劇場として、ささやかな実験劇場シアターXがオープンしたのは、1992年のこと。いつしか世紀を跨いで20年の歳月が流れた。その間をスタート時から一貫して制作の現場でリーダーシップをとり続けたプロデューサーは、人も知るあの上田美佐子さんである。同氏の藝術運営に対処するきびしい前衛精神は、当初からガンコなまでに徹底していて、それが今日にみるシアターXへの、不動の声価を築き上げた。そのことはさておいて、ここでは今回の第10回目にあたるシアターXのビエンナーレ:IDTF‐International Dance & Theater Festival(ダンスと演劇の国際フェスティバル)‐に出された全44本の舞台のうちから、私が観た、それもダンス寄りの創作に限って、二三の批評めいた感想文を記すにとどめる。

まず今回の会期だが、大道芸風のサーカスで組んだ5月31日の前夜祭に続き、6月1日(金)から24日(日)に至る足掛け5週間の催しだ。その間に適宜休演日を鋏んで、正確にはトータルで14日間が上演日になる。そして今シーズンの共通テーマは宮沢賢治。プログラムとしては1日1演目だけの日から、多いときは5本もの多種の出しものの場合もあり、リーフレットに並んだ各演目のアタマには、必ず〔シアター日本〕かまたは〔ダンス日本〕の、いずれかの文字が注記されている。これは選択するお客のための手引きとしてだろうが、必ずしも実際の中味とは一致しない点が、この祝祭の大きな特色でもある。

これは近年ダンス界にコンテンポラリー・ダンスという概念が導入されてからの、ある意味では一般的な傾向といえないこともないが、しかしシアターXの場合はもっと本質的な舞台哲学と深いところで結びついている。別言すればこれはハナから一貫した上田プロデューサの信念、芸術観そのものなのだ。これについては後でもう一度述べるつもりだが、それはともかくレヴューアーの一人である私は、今回はどうしても全部の舞台を通覧することは出来ず、その点から言っても、多分に主観に色取られたレポートであることを最初にお断りした上で、以下私が選んだベスト3のダンス作品から先ず述べさせてもらう。

時系列で抜き出すと、6月4日のプログラムに組まれた古関すま子+杉田丈作「わたくしという現象は」がまずおもしろかった。これはシュールレアリズムと舞踏が、渾然一体となった稀有な成功作の例だといっていい。そもそも身体は“具体的なモノ”の最右翼に位置するものであり、それを使って“超現実(シュール・レアル)”を打ち出そうという試み自体がドダイ無理な話だというのが、従来からの私の持論だった。ところがここでは身体部分はしっかりButoh(舞踏)で固めて一歩も譲らず、それを取り巻く空間と状況を、シュールレアリズム固有の〔幻想〕で塗りあげた。その明快な意識から出発した造型が、見事に功を奏したのだといえる。トラネコのお面をかぶり、並んでフロアを這い進むデュオの迫力など、舞踏ダンスとしても出色の出来で、見ていて思わず唸ってしまった。因みにこの作品、タイトルには“舞踏シアター”の肩書きがあり、プログラムも〔シアター日本〕に組み入れているが、私としては滅多にお目にかかれぬ秀逸のダンス作品に位置づけたい。

次に成功したと思われるのは、6月10日に組まれたミチコ・ヤノ モダンバレエカンパニー瑠璃玉会の「雨ニモ負ケズ。。。」である。舞台の中央には幕開きから黒いマントとハットをかぶった人物がうしろ姿で立つ。その周りをソロ(高橋誠子)と群舞のダンサーが、ペースを変えながら15分間を踊り続けるのが、ダンス作品としての全体の構成になっている。ただし先ず前半に読まれるのは、タイトルにもある賢治の有名な詩を、今の世相を揶揄するネガティブな言語に置き替えたパロディ。しかしそれは作品の進行とともに、生を鼓舞する前向きのオリジナルへと昇華され、最後は全員が明るくユニゾンで踊る。中央の人物が魂の実態をあらわすメタファーになっていて、いかにも瑠璃玉会らしい小傑作が生まれた。

もう1本の顕彰したいダンスは、6月23日の「catch up the rhythm!」である。演劇的ダンス人、古賀豊による振付・出演の力作だ。かつてつかこうへい劇団にも所属したこの人の創作には、多少ともに演劇臭がつきまとう。しかし今回はどこからみても純粋なダンス作品だろう。ただし私見だが“演劇人ダンサー”側に位置する作家の特徴のひとつは、そのエネルギーと造型の外向性にある。平ったく言えば、これは熱っぽくて分かりやすいということ。いくつかの賢治の言語宇宙をバックに、パーカッション(上田樹)に乗せて舞う15分の群舞は、十分に見ごたえはあったが、残念だがまだ十二分に魅せたとまでは断じ難い。アンサンブルは取れていても、やはりまだ身体ボキャブラリーが不足気味なのである。だが迫力はあった。この種のダンス作品で、この才能ならではの素敵な振り付けを、今後とも期待したい。

以上“ダンス寄り”という枠付けで、とりあえず3本の創作を選んだ。しかし当然だがこのほかにも、興味を引くいくつかの作品はあった。例えばグループf(松永茂子・花柳かしほ・アベレイ)の「アイ」(6/21)にみるグロテスクな人体造型や、コントラバスと肉体の壮絶な戦いとでも言うべき、超ジャンルのダンス、山田いづみの「べぇー 星空 風風 あぶらむし ー」(6/23)などなど。しかしアンサンブル・ゾンネや旗野由紀子をはじめ、何本かのダンス作品を見落としている身としては、これ以上踏み込んで順列をつける記述は、あえて今回はさし控えさせておきたい。