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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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【折田克子「憶の市」の再演からみえてくるもの:
第5回I・O Dance Flame】

日下 四郎 2012年10月8日

故・石井みどり逝去(2008年3月6日)の前後、その一子であり愛弟子でもある折田克子が、会の名称に両者のイニシャルを冠してI・O Dance Flameをスタートさせた。初期には文字通り系列下のダンサーたちによる発表会の色合いが強かったが、3回忌に重ねて挙行した2010年の石井みどり追善公演以後は、次第に出演者の顔触れも広がり、数ある年次公演のひとつとして、確たる一線級の重みと個性を帯びるに至った。そして第5回目になる今回の内容は、上演日数も3日間に延長、前半2日を「折田克子の世界」と銘打った過去の創作の再演(Aプロ)、後半の1日(Bプロ)には参加出場者たちの手になる短編11本を見せる構成でまとめた。

その折田の創作だが、1本は1978年の暮れに、今はない芝のABC会館で発表された群舞「憶の市」。もう1本は、6年前にシアターXの第7回IDTFに組み込んで作った、黒塚伝話にもとづくソロ作品「山ン姥」を踊った。

1978年といえば今から34年前。昨今の不況ニッポンと違って、世のなかは高度経済成長の只中にあり、作品が生まれてくる社会的バックの状況も、全く別世界といっていいほど違っていた。実は筆者は当時この作品を観ている。細目はすでに記憶からすべり落ちているが、この作品からうけた全体のイメージは、今もしっかりと脳裡にある。それはひっきりなしに出入りするダンサーたちによって織り出された、壮大な人体のタぺスリーといった印象だ。今回折田自身もプログラム・ノートで、この自作を「人間のありようを綴った作品」とあらためて説明している。このコメントは大枠で正鵠を射ているが、ただここで言う“ありよう”というのは、社会的存在としての人間の“あるべき姿”ではなく、むしろ、身体が抱え持つ表現可能なあらゆる位相、物体としての身体が記憶する実存的な刻印といった意味合いの謂いだ。

幸い初演当時に撮った映像記録が残っていて、それを手元に置きながら、本人があらためて再現してみせた作品である。ただし出演者は、大方が新しいジェネレーションのダンサーたちで、そのエネルギーをフルに動員、各シーンの爆発にも似た、この1時間に迫る肉体のショーをそのまま仕上げ終えたのである。

ここには何のものがたりも教訓もない。作者は「物から人へ!!」を念頭に、この旧作の再生に励んだとノートに記しているが、もし言うならここには「人という物」、あるいは「物という人」が間断なく出入りするだけで、その他の余計な挟雑物や概念は一切ない。それゆえあらためて2012年のいま、この作品に接するとき、若いダンサーたちの四肢の躍動が、ストレートに身体の“現在”といったものに直結し、それが身震いするぐらいの新しさを感じさせたのだ。

並列から拡散、落下する群舞、デュオからソロ、男性群の乱入と、次々に進行を止めない、いわばこの肉体露出の一種のアナキズムは、あきらかに舞踊作家折田の、ちょっと他に類を見ない強い個性である。ここで振付家は身体の各部に巣くう無数の記憶を掬い出して、これをあたかも肉体の市のように、観客の目の前に展示して見せた舞台だ。

ただしそのためにはもうひとつ、作者・演出家としての視座がどこにあるのか、その説明が必要だ。ただ次々に登場するダンサーたちの肉体をとらえ、それをランダムに積み上げていくだけでは、もっとも的確に作品の意図を伝え終えたとは言いがたい。そこには同時に作者としての第3者的な客観の目の挿入が不可欠だ。その意味で作品のはじめと終わりに、2度にわたって組まれた長椅子のシーンは、明確に主題を告げる見事なシーンを形成した。

ホリゾントに沿って横いっぱいに長い金属性のベンチのようなものがセットされている。ここに手鏡をもった15名のダンサーが座っていて、これが背を見せたまま間断なく、場所取りゲームのように、上手から下手へと絶えず横移動を続けるのだ。押し出された左端のダンサーは、こんどは走りながら急いで右端の空席へ滑り込む。ベルトコンベアのような肉体の移動であり羅列だ。

ところがこれらのアクションには、さらに各自が持った手鏡がもう1枚重要な役割を果たす。それは移動の途中で、みんなが次々に持ち上げる鏡の中へ、各自の身体の部位――首なり肩なりの一部がユニゾンで写しだされるのだ。その際ダンサーの手の動きとタイミングは、あらかじめ振り付けによって規定されているから、結果的に観客は見る場所によって少しづつ角度の異なった、しかし見事にそろった身体パーツを視覚のうちに捉えることになる。なんという肉体による“記憶”の“マーケット”であろう。この部分のアイディアと挿入は、当事美術を担当した故・前田哲彦の功績である。あらためてその才能の大きさを思い起こした。

それにしても昨今はその頃――70年代後半から80年代前半かけて作られた旧作の再演が少なくない。例えば昨年CDAJの現代舞踊展における金井芙三枝の「樹魂」(1975初演)、同じく今年は藤井公の「東海道五十三次」(1981初演)、またフェスティバル2011に出された西田堯の「パラダイス・ナウ」(1986初演)などなど。そしてそれらのいずれもが、決まったようにオーディエンスの強い共感とはげしい拍手を引き出している。なぜか。単なる郷愁ではない。そこにはダンスの実体であり本質でもある身体が尊重され、ビビッドに前面に押し出されながら、ストレートに躍動する光景として作品が成立しているからに他ならない。特に電子技術による映像・サウンドのなど、手の込んだテクノロジー優先のコンテンポラリー作品ばかりに接している若いジェネレーションにとっては、驚きにも似たダンスの魅力を再認識させられているのではなかろうか。あらためて考えさせられる一事だと思う。

おわりに現役舞踊家の作品集で組まれた3日目、Bプロについて一言触れておく。単にI・O系列だけでなく、何らかの意味で折田の芸風や主張とつながりを感じさせる個性が、それぞれ10分前後の作品を展示したソワレである。作風はヴァラエティに富むものであったが、そこに全プログラムを一貫する独自の姿勢といったものを感じさせられた。一口に言えば“ポジティブな破調”といったものである。細部の記述は省くが、出演者の顔触れやタイトル、例えば「モレル」(洩れる)、「amulet」(魔よけ)などの表記を寸見するだけでも、ある程度それは読み取れるだろう。すべては間接法による折田カラーの強い個性の反映だと見たい。藝術の持つユニークな力である。
(9月29/30日シアターX所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。