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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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【牧阿佐美バレヱ団公演 ロラン・プティの「DUKE ELLLINGTON BALLET」】
-11月10~11日 3ステージ 新国立劇場中ホール-

日下 四郎 2012年11月26日

文句なく楽しめた10年ぶりのバレエ版「デューク・エリントン」だった。批評席の末端を汚す文筆業者の一人としては、ふつう舞台作品を相手取っての文章をしたためれば、たいていはどこかに注文なり首をかしげる云々の一つも入れたくなるケチな職業だが、今回はそんなあら探しなど何処かへふっ飛んでしまって、まるっきり観客の一人になり終えたまま、選りぬきのエリントン・ジャズ14曲を、それぞれたっぷりと楽しませてもらった。「キャラバン」や「Aトレーンで行こう」など、日本人の誰の耳にもなじみの曲がバレエ化され、さらに真っ赤な“日の丸”装置をバックの「Ad Lib on Nippon」など、サービス精神たっぷりのプティのセンスがストレートに伝わってきて、まさに間然するところなしの、陶酔的なともいえる1時間半だった。

たしか2001年の初演のときは、牧阿佐美バレヱ団の45周年記念の企画として、イタリアの某劇場との共同制作の形で世界初演された。出演者には草刈民代、上野水香、小島直也ら、いわば半世代前の華やかなスターたちが顔を揃えていたが、今回はそれに変わって吉岡まな美、青山季可、菊地研と、実力から言っても決してひけを取らぬ若手の精鋭を並べた。そしてその出来映えも、むしろ初演時の固さがとれて、出演者のひとりひとりが、たっぷり余裕を持って役割をこなしている趣があった。さすが人材育成に関しては、斯界一の定評を裏切らない牧阿佐美の面目躍如といったところか。因みに今回のゲストダンサーは、モスクワから呼んだマリア・.アレキサンドロワとデニス・.サーヴィンの2人だった。

ところで衆知のように、ロラン・プティと牧阿佐美バレヱ団との関係は、ここ十数年まことに因縁浅からぬものがある。すでに前世紀の90年代半ばから、バレヱ団の創作シリーズ<ヴァンテアン>で「アルルの女」や「ア・リタニエンヌ」の上演があり、1998年に至ってプティの劇的大作「ノートルダム・ド・パリ」2幕の、日本における独占的完全上演が芸術祭主催公演として実現してからは、この両者の間には、いわばミューズの盾のウラオモテのような強い結びつきが確立したといえる。

世紀が変わり、記念公演としてさらに本格的な強い協力体制の下に次に手をつけたこの「デューク・エリントン・バレエ」。バレヱ団にとってはこれまでになくオリジナルに接近した最初のプロデュース作品だったとみなすことが出来るだろう。そしてそれ以後引き続きプティのレパートリーから、「若者の死」「エリック・サティ・バレエ」、「ピンクフロイド・バレエ」などの作品が、日本における独占上演の形で次々と実現することになる。こうして牧阿佐美バレエ団におけるプティの影響とその存在感は、昨年夏に襲った彼の死にもかかわらず、いやそれゆえにこそますます大きくなりつつあると考えていい。

ところでバレエファンなら、ここでハタと思い起こすに違いないもうひとつのアナロジーがある。それはNBS東京バレエ団ともう一人のフランス人、モーリス・ベジャールとの結びつきだ。こちらは80年代のはじめ、映画「愛と哀しみのボレロ」でブームを起こしたジョルジュ・ドンの来日にはじまり、それに続く師の<ベジャールの夕べ>が大ヒット、その勢いがそのまま後の「ザ・カブキ」や「M」の創作委嘱、完全上演へとへ発展する。これらはいずれも日本人ダンサーをメインに起用した、貴重な国際級の作品として同バレエ団のレパートリィーに組み入れられ定着したのだ。

しかし興味深いのは、振付家としてのこの両者の芸風が、まるでと言っていいほど対照的で印象を異にする点だ。プティのカラーが軽妙洒脱なら、ベジャールの方は重厚哲学型と呼ぶべきか。どちらもヨーロッパ文化が持つ多面性、感性の奥行きと幅の広さを証明するものだろう。しかし芸術作品という所与は、究極その中から育ったひとりの人間、個としてのアーティストがいなくては誕生しない。プティとベジャールという二人のフランス人芸術家が、たまたまこの国のメインを行く二つのバレエ団の制作に関わった結果、それぞれの集団の指標と特色を生み出してきたケースだったといえる。それがようやく発展期に入った日本のバレエの将来に、今後どうつながっていくのか、じっくり見守っていきたい気持ちだ。

さてそれにしても今回の舞台を観ていて、プティが持つ感性の良さ、その鋭さにはあらためて目を見張る思いがした。彼は経歴からいっても、パリ・オペラ座付属学校に学び、その後オペラ座の一員として数々の舞台を踏むという、間違いなくバレエの正道を歩んできたクラシックダンスの選良である。だが才能というものは、どうやらキャリアを乗り越えて、自分好みの芽を出し花を咲かせるものらしい。それを彼は「エリントン」創作時のノートに「時代不明の、抒情的で滑稽、かつ感動的(intemporelle, lyrique, drôle et ēmouvante)」なダンスの振付で勝負したと、自らを説明している。

たしかにここに提供された14篇の踊りは、すべてデューク・エリントンの、それも生の演奏をそのままテープに録音した音楽に当てたものである。しかしプティは進んでそれを希望し、ある意味きわめて猥雑ともいえるジャズ演奏に、身体ごと生のバレエをぶち込んだのだ。そしてそれは決してジャズのリズムへの当て振りや、気まぐれなレヴューの挿入などではない。例えばバレエのポーズが規定する5つの足のポジションで、あえて踵だけを内へひねってみせるとか、パ・ド・ブレの停止の先に、サウンドのアドリブに乗った素早い手足の装飾を即興風に付け加えるとか、あくまでもモデルはバレエだ。そのうえで彼は「僕が望んでいることは、みんなが劇場にやってきて、それを楽しんでくれること。それだけなんだ」と、別のところではっきりそう告白している。エンターテインメントと芸術の見事な共存。プティならではのエスプリの産物というほかはない。

初演から10年。仕上がりのすべてを、もっぱら振付家のセンスの良さで調理したこの「デューク・エリントン・バレエ」だが、そのとびきり上等の味付けを、すでに本人亡き今日、牧阿佐美の若い団員たちは、よく細部まで生かして踊り抜いたと思う。これには総監督の三谷恭三の努力はもちろんだが、前回には派手に演技した自分の出演を辞退して、ひたすら日本人ダンサーたちの指導に当たった、故人の半身的存在ルイジ・ボニーノの尽力が大きかったことは容易に想像がつく。その上で牧阿佐美バレエ団の着実な生長と成果を、もういちどあらためて喜びたい。


(11日所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。