【コンテンポラリーを中心としたこの1年にみる芸術ダンスの微妙な変貌:
芸術性の前でジャンルは消える!?
鍛えられた筋肉と表現力だけが問題。生きたダンスの根はひとつ。】
今回は年度の変わり目であり、これを機に過去1年をさかのぼって、特定の舞台や公演批評ではなく、コンテンポラリー・ダンスを中心とした、最近の芸術ダンス全体の漸増的変化や新しい兆候といったものに触れてみたい。衆知のように一口に芸術ダンスといっても、その領域や種類はすこぶる広く、そんな中で現代舞踊という場合は、ふつう伝統と様式美の追求をターゲットとしない、すべての身体表現を包括した総合的呼称だと考えられる。
ところがおもしろいのは、最近ではこのダンス用語が次第に人々の口端に上らなくなり、それに代わって“コンテンポラリー・ダンス”という呼称が急激に伸びてきたという事実がある。それと同時にその対象としての許容範囲が広まり、時には洋舞と邦舞(日本舞踊)、またテクニックとしてもモダンとクラシック(バレエ)の垣根が取り壊されて、次第に境界線がぼやけてきた兆候がみられるのだ。
そう言うとなんだかネガティブな印象を与えるかもしれないが、芸術ダンスの創作性――身体表現の可能性から言えば、これはむしろ自然であり喜ばしい現象である。そもそも日本では現代舞踊という呼称が、戦後あのアメリカ起源の“モダン・ダンス”の日本語訳として、早くに採用されたという経緯もあり、一方では明治以来日本がたどってきた文化一般の特殊性にも関わりがあるのだが、今はそのことには細かく触れない。
早速その事例のいくつかを取りあげてみよう。たとえば日本舞踊との関連で言えば、8月に中目黒GTプラザで行われたグループfの作品「パフォーミング・コンサート」がある。日本舞踊の花柳かしほ、モダンダンスの松永茂子、ヴォーカリストのアベ・チエが組むパフォーミング・トリオだが、歌唱をベースに身体が織りなすユニークな空間を築きあげて刺激的であり、かつ秀逸だった。
また恒例の舞踊作家協会が主催する11月の例会では、吾妻寛穂のプロデュースによって吾妻寬彌(「大地の母」)、葛タカ女(「生きる」)らの日本舞踊中堅層が活躍、花柳奈卯女の「日の光、金糸雀のごとく」では、“戦場に散った魂へ”と題して、堂々と戦争や死をテーマに練り上げた創作て客席の心をつかんだ。これらの作品は同じ舞台で並べて披露された、洋舞系のダンサーたち、杉原ともじや加藤みや子その他の作品と比べてみても、着眼・表現ともにヒケはとらず、また和服という視覚上の差を除けば、決して異次元の産物とは言えない。
このことはまたバレエとモダン・ダンスの技法上の混在という観点からも言える。例えば平山素子やキミホ・ハルバートなどの舞台をみると、その振付や踊りにはもはやどちらのジャンルかの区別はあまり意味を持たず、両者が文字通り渾然一体となって仕上がっていることは明瞭である。強いて言えば前者はモダン・ダンスの技法をバレエの基本が支え、後者はバレエ的発想や表現を、モダンの側に引き寄せて作品を仕上げていると説明することができるだろう。
その1点に着眼し、あえてこれをプロデュース面で促進しようとしているシリーズも目立ち始めた。例えば新国立劇場の“Dance to the Future”や“Dance Platform”がそうだ。今年度に入ってからも平山には4月に3作品(「Ag+G」「Butterfly」「兵士の物語」)、ユニット・キミホには、11月末から翌月にかけて新旧3作品(「Skin to Skin」「Manon」「Beaties and Beasts」)を発表する機会があった。成果のほうは一長一短にしても、これからの創作ダンスをにらんだ制作サイドの意図は明らかに、こちら側にも伝わってくる。
これらの大きな流れはバレエとモダンの間のテクニックだけの問題ではない。日本舞踊との接点については上に述べたが、この国の現代舞踊を貫通する今ひとつの大きな潮流であるブトー(Butoh)をみても、近年ようやくある種の変化ないし自己革新的な反省の動きがあることは注目していい。その一つは長らくフランスにあってブトー・ダンサーとして活躍してきた古関すま子が、帰国後の活動中に言い出した主張で、これを彼女は“明るい闇”と呼んでいる。従来からなぜか暗いとされている舞踏作品に、もっと“光”を取り入れていきたいとする基本の発想である。
衆知のようにブトーの創始者は土方巽。彼の残した業績と存在にはたしかに偉大なものがあり、その天才性を否定する者はいない。だがその後に続く後継者たちがいけなかった。芥川龍之介のエピグラムではないが、彼らは皆その百歩の差が一歩であることに気づかず、ただただこの先駆者の墓標の前に跪き、ひたすら香を焚くだけである。だが古関は土方の多くの作品の中に生きている無限の明るさと滑稽をしかと読み取り、「真の闇の中は光でいっぱいである」という彼の遺稿の一行に注目する(「舞踏-命の扉」ダンスワーク・60号)。
一昨年に発足したシアターX舞踏インスティチュートのデビュー作「雪むし」(5月31日)に始まり、今年のはじめに発表された第2作「マクベス断章」(1月24-25日)、あるいは初夏にはじまったIDTF(隔年に企画されるシアターX主催の国際ダンス演劇祭)への参加作品「わたくしという現象は」(6月4日)などは、いずれも古関すま子の舞踊観を踏まえたあたらしい造形の産物で、これを一口で説明せよとなら、ブトーが掬い上げた日本人の身体に眠る闇を、さまざまな形のダンス作品として、積極的に外在化してみせようとす冒険である。
このように今ダンス芸術の世界は、子細にみるとあちこちで興味ある脱皮と変貌の現象が始まっている予感がする。わが国が生んだユニークな舞踊ジャンルとされるブトーでさえ、上記のような果敢な見直しが進行しているぐらいだ。この分だとベジャールが言った「今世紀はダンスの時代」と言う予見も、あながち一塊の希望や夢ではなく、今後さまざまな可能性とともに、実際に華々しく開花する楽しみさえ湧いてくる。要は生きたダンスの根は、たどりつけばひとつと言うことだ。
ただ落とし穴もある。そもそもコンテンポラリー・ダンスと言う呼称は、当初あまりにも安直に輸入され用いられたが故に、さまざまな誤用と錯覚を抱えているというのが現状だ。しかも日本語の場合、従来の〔現代舞踊〕という文字をそのまま横文字に置き換えるとコンテンラリー・ダンスとなるからやっかいだ。一時はこれがモダン・ダンスの次に開発された新しいテクニックだと早合点し、いつどこだったか忘れたが、モダン・ダンス対コンテンポラリー・ダンスの対決などと言う呼び込みで、わけのわからぬコンテストが行われた笑えない話さえある。
要は安易な業界語に惑わされることなく、ダンスとはいったい何かををしっかりと見極めることにつきる。たしかにコンテンポラリーという概念は、表現の可能性を広げ、隣接する他の芸術との距離をせばめた。しかし例えばどこからみても美術展示とか映像ショー、または単に音楽行事に過ぎない類いのプロデュース作品に対しても、単にそこへ身体が素材として介入するだけで、簡単にコンテンポラリー・ダンスとして許容し、キャッチフレ-ズとして多用することは間違いだ。それはあたら芸術ダンスへの評判を落としたり、あるいは折角興味を持った芸術ファンの人々に、そっぽを向かせる結果になった例は、これまでも少なくはなかったことを忘れないようにしよう。
(2012年末所記)
芸術文化論・ダンス批評・演出
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。