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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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11月の公演より

日下 四郎 2014年12月4日

【舞踊作家協会 連続公演 №177「創造のコラボレーション」ティアラこうとう(小)】

ほぼ毎月1回の月はじめ、テイアラこうとう小ホールでのダンス発表で知られる舞踊作家協会の公演も、今回で177回目とある。年に10回としても、そのスタートはもうかれこれ20年前後前の出来事になるから立派なもの。

このシリーズの主旨は、芸術舞踊に関わる斯界の才能が、何らの流派・利害に関係なく――というよりむしろそれら一切の世俗要素に反抗し、自分たちが挑んでみたい創作を、おのれ自身の方法でやってみたいと、広くバレエ、日本舞踊、モダンダンスなど、ジャンル枠を超えたメンバーが名を連ねた。そうしてまたそれら月々の制作は、その中の誰かが単独ないしペアを組んで、実験的な作品の中味と仕上げに、とことん責任を持つという独自のやりかたを取っている。

さて、今回はそれが石黒節子+武元賀寿子の組み合わせ。どんなきっかけで何を意図してのコンビかは不明だが、今年のテーマは「創造のコラボレーション」とある。異種のコンビが突然変異的な火花を散らすケースもあり、その点おおいに興味をもって出かけた。しかし結果的には1+1=2、びっくりするほどの効果はそれほど見られなかった。

トータル100分にわたる全体は2部構成になっており、前半はフィットネスインストラクターや、サーカスダンサー、ひとり旅するダンサーなど、どこかオフ・センター臭のするシニアダンサーたちが発表するソロ作品集。気が付いたらこれは武元が毎年のように力を入れている≪初めの一歩≫の中年ヴァージョンといったところか。ただしトリには貫禄の石黒節子があらわれ、お気に入り「カンツォーネその2」を披露しておわる。

後半に入ると今度は複数ダンサーによる力作が並び、ようやく作家協会の創作らしい味が出てくる。日常の奥に潜む身体の闇を、くねった絡みのうちに表出してみせた高橋純一と渡辺久美子のデュオ(「樹だった日のこと」)。次なる「迷想カフェ」は、ナレーション付きの洒脱でスピーディな動きを、ボレロ、枯葉など馴染みの曲を生かしながら、ついつい話のオチまで客を引っ張って見せた。続いて和装の美女2人(藤蔭里燕、横室真弥)が登場する「月夜の花」もまたしかり。こちらは月明かりの下に繰り広げる、妖艶な大人のための夢幻譚。以上の3本、いずれもひと味捻った大人の味わいがある。

これらを受けて〆に組まれた仕上げ作品が、両芸術監督がメイン・キャストで扮する新バージョン「時雨西行」だ。ハンチング帽を頭にニッカボッカ出で立ちで現れる今風西行(尾上墨雪)。続いて黒いドレス風衣装の元遊女(武元)、ヴェールをつけた菩薩(石黒)など、見た目には確かに現代人が舞台上に現れ、それを謡曲ならぬ韓国風打楽器の生演奏(リュースンジャ)で色づけしながら古来のストーリーを追う。だが視覚・聴覚を超えるレベルでの今日的オリジナリティがそこに織り込まれていたかどうかはかなり疑問。次回には今一歩の踏み込みを期待したい。(11月5日所見)

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/何だか小難しい議論が聞こえてくると思ったら、今回は男性CがB嬢にかわって会話しているのでした。例によって以下はその断片より――/

A:(舞踊作家協会のメンバー表に見入りながら)さすがは個性派ぞろい。これが今の日本を代表するホンモノの舞踊家ってとこかしら。

C:“ホンモノ”は少しオーヴァーだろ。でもみんなひと癖もふた癖もある連中だ。外からのどんな制約も受けず、自分流の作品を発表することに邁進、またそれを協会が相互のボランティアで庇護・上演するという、いわば理想的な舞踊環境だと言ってもいい。

A:昔から芸術にとっては〔創造性〕こそが唯一の規範だった筈ですものね。

C:ところが昨今はこの世界へ、あまりにも不純で不要な要素が闖入しすぎている。どんなささやかな芸術行為にも、お金や資本、援助の名を借りたコマーシャリズムの介入が巧みに仕掛けられているからね。

A:その意味じゃこのグループ、よく20年もがんばったと感心するわ。

C:もっともその間に当然メンバーも入れ替わっているけどね。たしか初代は庄司裕がリーダーだった。その他エムサブローや若松美黄ももうこの世にいない。つい最近には牧野京子さんも亡くなった。

A:でもグループのこころざしは不変でしょう。現会長の横井茂さんだって、生まれは能楽の家元宝生流の家系。それがバレエ界へ進出して、独自のシェイクスピアものを手掛け、多くの賞をかっさらった才人ですものね。象徴的だわ。

C:作家性を一義に掲げたこの協会の存在は貴重だからね。いつまでも頑張ってもらいたいと思うよ。

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【鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団公演「道成寺」20-21日at 日本橋公会堂】

鍵田真由美・佐藤浩希の主宰するARTE-Y-SOLERAの代表的フラメンコ作品と言えば、なんといっても2001年に阿木・宇崎の音楽コンビとがっぷり四つに渡りあって、その年の芸術祭優秀賞を手にした、あの「FLAMENCO曽根崎心中」を思い浮かべるだろう。

実際フラメンコ・テクニックを核としながら、その型破りの構成と演出で、なんと日本の伝統的題材をこなしたその迫力は、おもわずわれわれ客層の度肝を抜いたといっても差し支えない。この世界にもこんな人材がいたのか。

しかしそれはダンス界のこのジャンルに比較的関心がうすく、フラメンコといえば、一夕の客がとりまくタブラオに登場、ひとときかれらの遊興に味を添えるための、娯楽的民俗舞踊の一種にすぎないと勝手に決めつけていた筆者のほうに、大半の責任がある。

これをきっかけに知ったことは、もともと鍵田真由美という踊り手は、むしろモダンダンスが本来の出自で、たまたま日本女子体育大学に在学中にフラメンコを知り、その後佐藤桂子・山崎泰のスペイン舞踊団に所属し、独自のキャリアを歩き始めた個性派キャラクターだったという一事だ。

この舞踊団は、衆知のように民俗舞踊にドラマ的要素を組み入れ、それを長年勝負どころとして、独自のスペイン舞踊を発表してきたフラメンコ・グループである。そのカラーと経験が、その後の鍵田の成長に、強い影響を与えたことは想像に難くない。

果せるかな、1990年に河上鈴子スペイン舞踊新人賞を受賞したあと、彼女は意を決して同舞踊団を退団、そのままスペインへ直行して1年間、おのれのペースで研修を重ねたあと、悟るところあって帰郷、地元杉並区にスタジオを開いた。それが活動と創造の本拠地として知られる、あのARTE y SOLERAである。

以来、ダンサー鍵田真由美が求めて歩き始めた足取りは、ある意味ひたむきでストレートな1本道であった。「とけない刻」(1994)でのモダンダンスとのコラボレーション。「レモン哀歌」(1998)にみる能やハーモニカとの果敢な共演。それがそのままさらに4年後の「曽根崎心中」の大きな成果と受賞へとつながるのである。

大成功と言えば、今では切っても切れない半身である佐藤浩希との出会いも、またARTE y SOLERAが生んだひとつの事件であった。師と生徒の関係から一躍人生のパートナー、舞踊団の顔そのものになった2人の才能は、ダンサーとしての役割はもちろん、それ以上にレパートリーの着想や演出の面で、今では文字通りARTE y SOLERAの本質的な核であり、芸術上不可欠なコンビであることは、万人の認めるところだ。

そしてこの「道成寺」。人も知るこの国に生まれた民間説話であり、多くの伝統芸能のジャンルで採りあげられてきた題材だが、あえてそれをフラメンコの技法と新しい演出で挑戦しようとするもうひとつの試み。正しく「曽根崎心中」以来の、この舞踊団が目指す不変のターゲットであり創作上の姿勢に他ならない。すでに4年前にテアトル銀座で初演した出しものだが、さらにこれに磨きをかけ、納得する形で完成させたいと、音楽メンバーやスタッフの一部を取り換えて、今回再挑戦に挑んだ。

フラメンコのギターやカンテにかえて、三味線や胡弓、笙と和太鼓、そこへ民謡を絡ませた音楽と踊りの丁々発止の咬み合い。題材が和物だから当然とは言え、それはこのジャンルの古典ルールを一気に跳び越える迫力十分の仕掛けだったし、ストーリーと人物の心理を追ってのサパテアードやパルマ、それと打楽器の激しい連打の多用が生む効果もまた、このジャンルの舞踊ならではの巧妙なテクニックの拡大であり冒険だといえるだろう(音楽監督:吉井盛悟)。

そしてその間を縫うように、千変変化の清姫(鍵田真由美)が、すさまじいまでのエネルギーで、蛇体への化身をとげる終景まで、ほとんど出ずっぱりで踊りぬく。また追われる身の安珍を、バイレではなく和太鼓の連打(斉藤栄一)でメタフォリックに処理した演出もユニークでよかった。さらにそれらの背景として、日高川の流れや脈打つ女の執念を、ダンサーたちの人体を連ねたバレエ風の群舞をクワドロとして加味するのである。

これらの一見雑多で欲張った感のある多彩な構成要素が、どうやら1本の流れに収斂され、心地よいリズムの裡に仕上がっていたのはさすがだった。これはひとえにダンサー鍵田の熱演と佐藤の演出力の賜物であり、さらにARTE y SOLERAの創作精神の根底に、常にいい意味でのショーマンシップ――お客に楽しんでもらおうとする舞台芸術のサービス精神といったものが息づいているからではないだろうか。あきらかに舞踊団のレパートリーに、新鮮でゆるぎない新規の1本が加わった。(21日マティネ所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。