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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

100

過去100回の秀作から

日下 四郎 2015年1月14日

【ダンス・レビュー・コーナー“いって失礼、いわずに失礼”の過去の記録を総括する】

kk-VIDEOのウェブサイトDancing×Dancingの一角を担うこのダンス・レビューの連載も、今回2015年を迎えた時点で、ちょうどvol.100号を迎えるに至った。振り返るとそのスタートは2004年の1月、師走のくれに名古屋で公開された川口節子の「舞浪漫03」を批評した一文で、執筆者は同輩のうらわまこと氏である。そしてそのあと07年3月に、関西の個性藤田佳代の作品を紹介した第6号の批評文までは、同氏が一手に執筆を担当している。

そのあとを引き受けた形で、同年秋以後小生こと日下四郎が交代し、今回までの7年半、何とか投稿を続けて今回を迎えた。当初は5年をめどに、そろそろ降板をと口にしはじめたが、いつの間にかそれから2年ほどの年月が経ってしまった。ところが昨年の秋口に痛めた膝と足の不調がままならず、そこへ加齢の追い打ちが重なって舞台行の回数が激減した。明らかに批評家としての条件失格である。

そんなわけで今回この100号の執筆を最後に、このコーナーからの降板を了承していただくこととなった。わがままといわれればその通りだが、すくなくともこの期間、“いって失礼、いわずに失礼”のモットーを盾に、“辛口”批評だという返り血(?)を浴びながら、可能な限り正直な所感を書き連ねてきたつもり。これまでご愛視読いただいたビジターの方たちにも、どうかご了承を乞う次第である。

そこでこのラスト原稿の中味だが、編集サイドからの示唆もあり、いつもの月例評ではなく、ぐっとさかのぼって過去このコーナーでとり上げた数多い作品の中から、あえてベスト・テンとは言わないが、今も記憶に残るいくつかの秀作、問題提起の意味もかねてその種の10編をピックアップしてみてはどうかという事になった。

もちろんこれはこのコーナーのVol.1からVol.100の間の評価だけが対象で、さらにそこから選んだ10本であるから、この間おびただしく上演された舞踊を考えると、まるで満天の星の中で見かけた流星の数にもおよばない、ほんのわずかなサンプルということになるが、評者日下四郎の主観は承知の上で選択し、それぞれにそのポイントを書き添えれば、あらためてダンス芸術の何たるかを再考するきっかけぐらいにはなるかもしれない。それはそれで意味のあることかもと納得して引き受けた。

その結果がとりあえず時系列で古いものから並べてみた下記の一覧である。とりあげたものはクラシック、モダンを問わず、かつ作者の年齢やキャリアも一切無視しての選択だから、1位から10位などのランク付けは意味をなさない。またそこにはおのずから選者の舞踊観といったものが顔をのぞかせていることもやむ負えない自然の流れだ。

それからもう一つ、vol.1からvol.6までの作品は、選択・評論の主体が別人であるから、選考の対象から除外したことを、最初に一言お断りしておく。



-2008-

≪No.14≫ 横井茂「トロイの木馬」舞踊生活60周年記念公演 2月 新国立劇場
・ 社会性も加味され、日本では数少ないスケールの大きい創作バレエ

≪No.27≫ 平山素子の「春の祭典」ダンステアトロン16 11月 新国立劇場
・ 平山オリジナル「春の祭典」の初演がこれ 衝撃的なデビューだった

-2011-

≪No.62≫ 萩谷紀衣EXPEDITION「4πr2」7月 シアターX
・ 3.11の被災を、身体レベルに包み込んで再現してみせた果敢なダンス

≪No.66≫ 新国立劇場D.ビントレーの「パゴダの王子」11月 新国立劇場
・ ロイヤル・バレエの古典を、みごと機知を用いて日本版に仕立て直した

-2012-

≪No.72≫ 宮本舞 ZERO→∞シリーズvol.2「箱の中の庭」5月 北沢タウンホール
・ 出藍のほまれ。自らのスタイルを築き上げて見せた小さくて大きい宇宙絵図。

≪No.77≫ 牧阿佐美バレエ団ローラン・プチ「デューク・エリントン」11 新国立劇場
・ R・プティのエスプリを生かし、文句なく楽しませてくれたバレエ団の実力

-2013-

≪No.87≫ 笠井叡「日本国憲法を踊る」10月〔大野フェスティバル〕横浜NYKビル
・ ダンスには不向きのこの種のテーマに挑戦して立ち向かった心意気を買う

≪No.87≫ 池宮中夫Nomade~s「ヘルデンオーア(群生する耳)」10月 横浜NYKビル
・ 異形のオブジェがダンスとからみあって立ち上がる、池宮ならではの美学

-2014-

≪No.92≫ 三上賀代 とりふね舞踊舎「献花」4月 神奈川芸術劇場KAAT
・ <No.20>の「ひのもと」と共に、ブトーには少ない演劇志向の果敢な成果

≪No.95≫ 勅使川原三郎連続公演のうち 新作「7月の夜」 両国シアタX
・ ダンスに持ち込まれた“いま・この時”の自意識が強烈で圧倒された



セレクトの作業を終えての感想は、他にいかに多くの力作を切り捨てなくてはならなかったかの無念の一語に尽きる。いやそれはむしろ無礼という言葉に置き換えた方が、もっと適切かもしれない。この世界には「批評は易く芸術は難し」とする古くからの格言がある。どの作者にとっても1本1本の作品は、どこかでみずからの命と引き換えに生み落した、いわば血みどろの産物である筈だ。

しかしだからこそ安易な賞賛やその場だけの持ち上げは、かえって創り手へのおおいなる侮蔑にも通じかねない。短い期間だが、過去においていささか作り手サイドに立った経験を持つ筆者としては、あえて作品のもっとも際どく微妙な(critic)な1点を衝くことこそが、批評(critic)の存在意義であることを知ったうえで、この仕事も続けてきたつもりである。

しかしこの期間、それにはまた受け皿であるkk-VIDEOのバックアップなしには持続し得なかったこともたしかだ。「いって失礼、いわずに失礼」とのサブタイトルにほれ込み、言って失礼なことを言わないのは、もっと失礼にあたるのだと勝手に拡大解釈して、よほど歯に衣を着せない率直な所感を、いささか正直すぎるほどそのままぶつけてきた批評だったと自分でも思っている。

だが当社の編集部は、業者の立場にもかかわらず、この増山代表の貴重な意向を戴して、ほとんど無傷のままいつもながらの拙稿を、そのままストレートに掲載していただいた(もっとも当初には、1,2度トラブルがあるにはあったが)。今後3人目の新しい書き手を迎えて、このコラムがますますの発展を遂げられることを心から祈って止まない。読み手のみなさまともども、長期にわたるご支援とサポートのほど、ほんとうにありがとうございました。ではこれにてバイバイ!(日下四郎―2014歳末所感)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。