藤井 修治 | ||
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2002年2月14日 | ||
舞台を見ていると主役を目で追う以外にもいろんな事が見えてしまいます。ダンサーたちが踊っている時は当然ですが、踊っていない時を見るのも面
白いものです。古典バレエの答礼、レヴェランスを見ると実に各人各様で、彼らの人がらまで見えてきます。だから利口な大バレリーナはおじぎにも気を配っています。プリセツカヤだったかの言葉に、拍手は多いほどいい。その間休めますものという名言がありますが、彼女のおじぎは見ものです。「瀕死の白鳥」などの小品でも何回も現れておじぎも毎回ポーズを変えて、トウで立ったりもするので、もう一回見たいと拍手をつづける人がいます。しかしおじぎが作品よりも長くなるのはどんなものでしょうか。もう26年も前のこと。第1回の世界バレエフェスティバルではアリシア・アロンソとマーゴ・フォンテイン、プリセツカヤと、当時の3大バレリーナが踊りました。最後に全員が勢揃いして並ぶとそれぞれ自分を一番偉く見せたいと思っている気持ちが見えて愉快でした。中でもプリセツカヤのオーバーなマナーが目立ちました。イギリス人のフォンテインは対照的に控え目で、それがかえって立派に見えました。大振付家の故アントニー・チューダーに「ガラ・パフォーマンス」という楽しいバレエがあり、一緒に舞台を踏んだ各国のバレリーナが、自分こそ一番偉いと見せるよう工夫する様子をマンガチックに描いたものでした。これが世界バレエフェスティバルのフィナーレとそっくりで感心しました。チューダーはよく人間を見ていましたね。 作品によっておじぎを変えるのも楽しいものです。オペラ座の「ジゼル」でノエラ・ポントワはカーテンコールでロマンティック・チュチュにうずまるように低くおじぎをして、客席のほうを向いたままで後ずさりをして袖幕に入って行くのが作品の延長のようでした。ところがポントワは実はけっこうこわい人だと聞きます。だから舞台は面 白いんですね。 日本では谷桃子さんの「ジゼル」の答礼がいかにも同情を誘うような表情で、バレエが終わっていても涙を誘いました。反対に貝谷八百子さんは悲劇でも大ニコニコで、これも素敵でした。 モダンダンスでは幕が降りると拍手が鳴りやんでしまうので答礼の面白さはあまり味わえません。もう50年も前になりましょうか、江口隆哉舞踊団の公演で名作「プロメテの火」が終わり、大拍手のうちに最後のポーズのストップモーションで幕が上がりましたので、感動も持続したものです。僕がこの手のカーテンコールを見た初体験です。同じ公演では当時の江口隆哉夫人の宮操子さんが「タンゴ」という小品を踊りました。拍手にこたえて片手を腰に悪女っぽくうなづいて見せたのに子供心にも感心。おじぎも作品のうちと知らされました。最近の舞台はどんどん忘れてしまうのに、こどものころのことは覚えているのはトシのせいですね。 バレエでは、男性の答礼も面白いことがあります。パトリック・デュポンは表情が豊かで、男っぽくって女っぽくって、こちらも思わずニコッとします。ルジマトフは古典バレエ風なオーバーな振りのおじぎが見事。それでいながらバレリーナをちゃんと前に出しあげるのは立派。 バレエではカーテンコールで主催者やファンから花束が主役級に渡されることが多いですよね。王子役がお姫様にひざまづいて自分に渡された花束をあげたりするのも素敵です。しかし王子様にわざわざ高価な花束を贈った人はどう思うでしょうか。それも心配。花束が一人の人に集中しすぎるのも気になったり・・・。バレリーナがオケピのコンサートマスターに花束をあげるのも音楽を大切にする気持ちが伝わってきます。バレリーナから花束を優雅に渡されたら嬉しいでしょうね。バレリーナが自分にもらった花束から一本のバラを取ってパートナーに渡したりするのも見ていて気持ちのよいものです。舞台上のマナーは、作品を見せるだけでなく、演じる人の人間性まで見せてしまうので、観客の人生にも影響を与えることすらあります。アーティストの責任は大きいといわざるを得ません。 さて、僕たちがいつも座る客席のほうをふり返ってみましょう。席に座っている人の前をあとから来た人が堂々と通 ったりする人が多いんです。ひとこと「前を失礼します」とか、「スミマセン」といえば平和だと思います。こういうことは子供時代に教えておくべきだと思います。 やはり気になるのは服装です。劇場に行くのにはそれなりの心配りが必要です。臭くなったり、ひざの抜けたりしたGパンは周囲の人は不愉快でしょう。30年以上も前、新宿に京王プラザホテルができた時、入口でGパンで入るのを断られた人がいたとか。週刊誌の記者がためしに Gパンで行って見たら本当に拒否されたとかで、帝国ホテルに入れるのに新宿では入れないなんて新宿はイナカだとかの記事になっていました。しかしリゾートホテルならとにかく、シティホテルではそれなりの服装のほうが無難でしょう。逆にリゾートホテルでフォーマルで身を固めるのもおかしいと思います。要は自分も楽しく他人も不愉快にしないこと。法律なんてありませんから。 劇場も同様。ドレスコードはなくても、状況にふさわしい服装のほうが気が楽です。僕は時々、別 のところ、例えばお花見の帰りなどにカジュアルなままで劇場に行くことがあります。しかしこれはあくまで例外です。だからこんな時はかえって疲れてしまいます。 女性がフォーマルで帽子をかぶっていてもいいといって、つばの広い帽子で客席に座ればうしろの人は大迷惑しましょう。だから美智子皇后は小さい帽子をおでこのほうにかぶっているのでしょうか。失礼しました。要は劇場では舞台を楽しむだけでなく、客席での人々の服装やふるまいを楽しんでこそ、最高だと思います。 つい先日、国立大劇場で日舞の藤間仁章さんの章会という舞踊会に行きました。朝の10時半から10時間ほどの長時間に、お弟子さんたちがつぎつぎに踊ります。観客は自分の関係者が踊るとすぐ帰ってしまったりします。僕も仁章さんが踊る前後のいくつかを見たのです。 この会のプログラムを開くと、まず表紙の裏に「お願い」とあります。「本日はご来場いただきまして・・・。長時間お荷物をお席に置いたままでの席の確保はご遠慮ください。」等々。横を見ると近くの席にもコートやハンドバッグが置いてありました。「お願い」のつづき。「小声ならばとお思いになるかも知れませんが、客席内は思っている以上に声が響いてしまうものです。・・・。どうも日本人の劇場マナーはあまり・・・のようです。・・・皆様のご協力でお気持ちよく、ご気分よく、ごゆるりと・・・」とありました。納得。演じている人の身になろうと思いました。 逆にクラシックのコンサートはお客が厳しい。いつだったかバイオリン一人のバッハの無伴奏ソナタのコンサートで、ゴホンとセキをしたら近くの学生さんに怖い顔でにらまれました。クラシックばなれはこんなことからも始まるのかも。 最後に眠気の話をしましょう。外から劇場に入ると、気温が適当、湿度もいい、いい音楽が聞こえてきます。起きてろといっても無理な時もあります。音楽の場合は目をつぶっているだけだといいわけできますが、舞踊の場合はそうもいきません。でも眠いのは自然現象で、マナー違反とはいえないでしょう。しかしイビキとなると周囲の人は迷惑ですよネ。近くの人がおこしてあげるべきでしょう。お客を眠らせないような立派な舞台を作ればいいんじゃないかと反論する人もいますが、いい舞台と眠気は関係ないようです。僕も隣の女性につつかれたことがありますが、あの時はイビキをかいたのかと思います。ということで眠いのまでコントロールできません。かたくるしくなく、ほどほどにマナーを守って、客席にすわろうかと考えています。 |
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