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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.54 「舞台と美術」  
2002年5月9日
 初来日の韓国国立バレエ団の公演の2演目、「ジゼル」と「白鳥の湖」を見てきました。近年の急速な発展ぶりは耳にしていたのですが、実際の舞台の充実ぶりにすっかり感心しました。韓国では日本より早く、40年前に国立バレエ団が設立されていますが、それがバレエ事始めといっていいそうです。しかし先行している欧米や日本を追いつけ追い越せとがんばった気迫を感じさせる舞台でした。この公演のことは別 のところに書いたのですが、美術面で考えることがあったので書かせていただきます。
 「ジゼル」のほうは全体的に伝統的な演出・振付・美術だったといえましょう。美術も背景や近くの大道具や衣装もリアルできちんとしています。照明の変化により色彩 もはっきりとした変化を見せ、情景の変化はわかりやすいのですが繊細な感じはないようでした。第1幕の登場人物は貴族だけでなく村の女性陣の衣装も豪華に見えます。視覚的に派手目なのは国民性によるものでしょうか。
 この「ジゼル」は、かつてのボリショイ・バレエのスター、マリーナ・コンドラチェワが細部を仕上げたものです。僕の記憶によるとたしか大阪万博の年に、ボリショイ・オペラが来日した時に、オペラの中のバレエシーンのためにボリショイ・バレエが同行して、ついでにバレエ公演もしています。東京でも厚生年金ホールだったかで「ジゼル」を上演していましたが、その時のジゼルがコンドラチェワでした。今回はそういった経験を生かしての演出・振付です。
 全編は伝統を重視したまっとうなものですが、一つだけひどく驚きました。第2幕の冒頭、ヒラリオンが逃げたあとでミルタの出現の場面 です。音楽が幻想的になると、通常はミルタが舞台奥をパ・ド・ブレで横切ったりします。ところがこの舞台では舞台右奥に煙が上がり、地面 から黒い棺箱が起き上がり、中からミルタが現れて踊り始めるんです。とにかくびっくり。ここまでやるならついでにジゼルがお墓からでてくる時もやったら面 白いかとも思いますが、こうなったらもう劇画の世界でしょうね。とにかくミルタの出だけは気になりました。誰のアイデアかは知りませんが、やはり韓国の人たちが舞台を面 白くしようという気持ちが表に出てきたのかも知れません。
 いっぽう「白鳥の湖」は、長い間ボリショイ・バレエの帝王として君臨していたグリゴローヴィチによる演出・振付です。ボリショイ劇場の体制が変わり、いまは別 の「白鳥の湖」になっているので、グリゴロ版はもう見られないと思っていたのですが、彼はやはりしぶとい。このバレエ団に持ち込んでいたんですね。
 グリゴロ版は、これが出来て間もなく、30年近くも前の1973年にグリゴロ体制になって初めてのボリショイ・バレエ日本公演で紹介されて以来たびたび上演されていて日本でもおなじみの舞台でした。グリゴローヴィチが新しい「白鳥の湖」でさまざまな創意工夫をこらし、自己主張さらに自己顕示を見せました。ソ連でも日本でも多くの観客は見なれた舞台を懐しむ傾向が強く、専門家の批判もありました。しかしソ連時代にあえて芸術性を狙った制作を敢行してバレエの流れを変えたことはそれなりに評価できます。そして今回、韓国国立バレエでの上演に際して、さらに細部を修正して、メッセージを明確に伝えようとしていました。
 ここでも気になったのはやはり美術です。装置・衣装はボリショイ・バレエでも用いていた美術家シモン・ヴィルサラーゼのデザインによるものなのですが、仕上げがだいぶ違うのです。ボリショイ劇場では、巨大な水墨画のようなモノクロームで荒々しいタッチの骨太な舞台が特徴でした。それまでの華美な「白鳥の湖」と違った象徴性や構築性を感じさせるものでした。ところが今回はデザインの原画は同じものを参考にしているとは思いますが、舞台の雰囲気が違います。普通 の「白鳥の湖」に近よっていて、宮殿は宮殿、湖は湖らしく見える。大道具を作る人たちの筆の運びのおかげでしょうか。これは多少の逆行とも考えられますが、「白鳥の湖」を見なれていない韓国の観客に対する啓蒙やサービスのためにはかえってよいのではないかとも思われます。
 定番ともいえる名作バレエで、演出や振付が同じでも、美術の仕上げや照明の違いで効果 が相当違ってしまうものだと再確認させられました。
 舞台芸術においての美術の重要性はいうまでもありません。時代や地域の考証を基礎に、演出家・振付家の意図を十分に実現した舞台にするのも舞台美術家の役目です。そして観客も、古今東西の社会の様子や美術を知っていれば作品の内容や演出の意向を一層よく理解できると思うのです。美術的教養は特にオペラやバレエを楽しむのに必要でしょう。
 僕もできるだけ美術に親しむようにしています。これは舞台芸術を楽しむためにということでなく、美しいものが好きだからなんです。見て美しいもの、そして聴いて美しい音楽、おいしいものは食べて美味。等々。ということで最近も時間をさいていくつかの展覧会に行きました。
 3月末に京都に行った時、京都市内の市バスと地下鉄の一日乗り放題のチケットを買ってアチコチのお花見などに走り廻りました。バスから見ると京都国立博物館で雪舟展をやっていました。東京で開催する前にまず京都で開いたのです。あわててバスを降りたのですが、午前中なのに混んでいて30分待ちとか。時間がないのであきらめてしまったのです。ということで現在上野の東京国立博物館で開催されている雪舟展に出かけましたら、日曜日でお天気がいいので大入りのよう。別 の日に行くことにして国立西洋美術館のプラド美術館展に行きました。ここも大盛況でしたが名品がゴロゴロ。ベラスケスやゴヤの作品にいまさら感動。そして改めて平日で雨の日に頑張って雪舟展に行きました。そこでも混んでいました。
 雪舟展は画聖といわれる雪舟の没後500年を記念しての大がかりなもので、海外に流出している名品も里帰りしていましたし、今回初めて公開する作品もありました。
 雪舟はこどもの時にお寺で修行していて住職に怒られて本堂の柱にしばりつけられてしまいました。大泣きした雪舟は足の指で床に落ちた涙でねずみの絵を描いたのです。縄をほどきに来た住職は本物のねずみと思ってびっくりしたとか。これは昔の教科書に載っていた話です。本当かウソかわかりませんが、雪舟は日本でも最も有名な画家でしょう。しかし本物の作品を見る機会は多くはありません。今回の展覧会が入場困難なはずです。
 展覧会は、雪舟の若い時の絵から大体時代順に展示されていました。晩年の一気に描きあげた水墨画が有名ですが、そこに至るまで、日本各地や中国に渡って描いた作品まで、多彩 な作品が並んでいました。一人の偉大な人物の生きた道も何となく見えてきたのです。
 そしてつい先日、竹橋の国立近代美術館でのカンディンスキー展にも行きました。たしかこの欄で、カンディンスキーがある夕方、帰宅すると何が描かれてあるかわからないけれどものすごく美しい絵が見えましたと書いたはずです。自分が描いた絵を横に置いていたという話です。この展覧会はカンディンスキーの前半生の傑作をほぼ時代順に並べていました。よく見ると初期の具象的な作品でも対象にこだわらずに抽象的な美しさをそなえていますし、反対にのちの抽象画でも随所に具象的なイメージが見えかくれしています。彼の作品をこれだけまとめて見たことがなかったので、美術史上の偉人とは知っていながらもいまひとつ納得がいかなかったのですが、今回の展覧会ではっきりと感動させられました。
 忙しい現代人が各地での美術展を見に行くのは大変なことです。そんなわけで僕は常々、展覧会で本物を見るだけが美術鑑賞ではない、日常生活での美術、例えば居間のカレンダーや絵はがきの名画、手描きの年賀状の絵にも美を発見することが大切だと強調しています。しかし、時には古今東西の名品をナマで見ることも大切です。今回も雪舟とカンディンスキーという時代も場所もへだてた巨人の作品を見てナールホドと感じたことがたくさんあったのです。劇場芸術を見ることを中心にしていても、時には動かない美術品をゆっくりと見たいと思っているのです。



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