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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.59 「北京にも行きました」  
2002年7月17日
 前回はW杯で大盛り上がりのソウルに行って、サッカーでなくバレエを見たのを御報告したのですが、今回は中国での話です。実は韓国行きの前に北京(ペキン)にも行ってきたのです。かって台湾を一周したり、香港にも数回行きましたが、社会主義の中国本土には行ったことがなかったのです。中国大陸は水が悪いとかトイレ事情がよくないとか、いろいろ先入観があったので積極的に行く気がなかったのです。でもこのごろだいぶくたびれて来て、旅するのが少々つらくなってきたので、お誘いがあったのを機会に、思い切って近くて遠かった隣国の首都だけでも覗いてみることにしたのです。
 市内のホテルは考えていたより快適でした。世の中、想像以上に進歩してるんですね。街はやたらと建設中の高層ビルが目立ちます。急速な国際化を図り、外資を導入したりして近代都市化を進めているのです。昼夜を問わずの工事は失業対策でもあるようです。街は元気そのものでした。韓国と違って日本語を話す人は多くはないので心配でしたが、看板などが漢字なので、日本の漢字とは違う字もありますが大体見当がつきます。発音がわからなくても漢字で書くとわかります。パンダのぬ いぐるみをお土産にと思ってデパートに行って売り場でパンダの中国語「大熊猫」とメモ用紙に書いたら出してくれました。これに味をしめて思い切って一人歩きもしてみたのです。
 今回の北京行きの主目的は京劇の観劇です。しかし新京劇ということで、伝統的な京劇とは相当違っているというので、それを見たいと思ったのです。
 昭和31年(1956)に中国から戦後初めて京劇の劇団が来日しています。このことは前にも書いたはずですが、歴史的な名女形とうたわれた梅蘭芳(メイ・ランファン)が座長で、いくつかの伝統的な名作を見せてくれました。初めて見聞きした隣国の舞台芸術の華やかさ、楽しさに魅せられてしまい、歌舞伎座と浅草にあった国際劇場での公演を追っかけ観劇したの思い出があります。梅蘭芳はすでに老人でしたが「貴妃酔酒」では満開の牡丹の庭で酔って歌い踊る場面 がとにかくすてきでした。京劇の魅力を抽出したような舞台でした。それ以来、梅蘭芳の陶酔的な舞台が忘れられなくて京劇を始め中国各地の演劇が来ると見に行ったものです。
 しかし梅蘭芳時代のあとの文化大革命で、京劇の名作の大半が上演禁止になり、政治的に利用されるようになってしまい、女形も不自然だとか退廃的だとして否定されてしまいました。そのかわり美しい女優が主役をつとめていました。それも魅力的だったのですが何か不満が残っていたのです。主役としての、インパクト、強さが不足していたのでしょうか。革命後、再び女形も許されたので、あの梅蘭芳の息子さんが女形の芸を再現しますが、ブランクも長くすでに老齢で、後継者も現れないので困っているとNHKのドキュメンタリー番組でも報道されていました。
 ところが最近になって呉汝俊(ウー・ルーチン)という人が新時代の女形として人気を集めています。彼は京劇に用いられる楽器の一種、京胡という弦楽器の名手として知られ、コンサートでも活躍していますが、その間に女形としての修練を積んでいたそうです。
 彼は21世紀の冒頭、去年の1月に、自己の発想による新京劇「貴妃東渡」を上演しています。彼はこの新京劇を自分で演出して主役の楊貴妃を演じています。この舞台が好評で迎えられたので、去年の夏に日本でも上演されたそうなのですが僕は見られませんでした。ということは、東京で同じ日に梅蘭芳の息子さんが演じる「貴妃酔酒」と、呉汝俊が演じる「貴妃東渡」(日本題「楊貴妃と安倍仲麻呂」)とが上演されていたのです。東京で楊貴妃が主役の芝居が同時に上演されたのです。東京はぜいたくな都市ですねー。僕は梅蘭芳が懐かしくて息子さんの舞台を見ていたのです。
 ということで見逃してしまった「貴妃東渡」が改訂再演されるというので、思い切って見に行ったわけです。その結果 は?
 改訂された新京劇「貴妃東渡」の初演は6月5日でした。前日に北京に着いて、市内の保利劇場にかけつけてゲネプロ(装置・衣装つきの通 しリハーサル)を見てから翌日の初日の舞台を見ることができました。
 ゲネプロでは話題の主、呉汝俊が場面ごとにカラフルな衣装を着がえて登場。絶世の美女という楊貴妃を自信をもって演じて舞台を支配していました。彼は父親が音楽家、母親が京劇の男役ということで、恵まれた容姿と優れた音楽性をもっているようです。黄金の声といわれる裏声の美声を駆使して、優雅な身のこなしを見せていますが、演出家として鋭い視線で舞台全体を見ていたようです。群舞の出来が悪かったりすると突然ストップをかけ、男に戻ってしまい、男の声で鋭い指示をしたりするのです。そしてそこをもう一度やり直すと舞台がすぐによくなっているんです。リーダーシップのある人だなと感心しました。ということでこの通 しげいこは夜中までかかり、こちらも疲れたし空腹にもなりましたが、スタッフ・キャストはもっと大変だったと思います。
 しかし翌晩の公演は何事もなかったようにスムーズに進行しました。通しげいこと本公演を見たおかげで、この舞台をあえて新京劇と題した意図がわかってきました。呉汝俊は視覚聴覚の両面 から伝統的な京劇に異を立てています。まず音楽的な面では、旧京劇では楽団が舞台の袖にかくれて演奏するのと違って、オケピットにオーケストラと合唱が位 置し、指揮者の右側には伝統的な民族楽器が、指揮者ではなく舞台上の役者の動きを見て演奏しています。ということは、欧米のオペラやミュージカルと伝統的な京劇の音楽との両立を試みているんです。そしてこのことは視覚面 でも共通し、欧米的表現と中国的なものの共存を意図しているようです。
 物語は唐の都長安の宮廷に始まり、最後は日本の奈良時代の御所に終わります。唐の玄宗皇帝と寵姫の楊貴妃、そして日本側からは女帝の孝謙天皇と遣唐使の安倍仲麻呂とが主役です。この4人は史実では会ったことがない人もいるはずです。呉汝俊の想像から生まれた架空の物語です。荒唐無稽の面 白さです。
 この作品の第一の見どころはやはり呉汝俊が演じる楊貴妃でしょう。他の女性の役は全員女性が演じていますが、彼は主役として最も華やかに装って演じ歌います。美しいだけでなく男性としての強さもあり、とにかく終始舞台の中心として君臨していました。日本でも女優さんが歌舞伎の舞台に出ても歌舞伎俳優の迫力には負けてしまうでしょう。能舞台の場合も同様です。逆に、女性ばかりの宝塚歌劇団では男役に男性が入ってもあまり魅力はないような気もします。テレビや映画と違って舞台の面 白さ、そして怖いところでしょう。新京劇の呉汝俊の舞台は京劇でも女形がいる方が面 白いということを世界に、そして未来に訴える感じでした。
 この舞台は日本でも8月に「楊貴妃と安倍仲麻呂」という題で上演されるということです。ということで北京でこの版を初演を見ることができた僕は、この公演のプログラムに短い解説を書くことになってしまったのです。専門家でもないので困りましたが、スタッフ以外の人で見た日本人がいないとかで、お引き受けしました。この舞台、もし御覧になるかたがいらっしゃれば面 白いはずです。決して宣伝ではありません。面白いといってもプラス面もマイナス面 もあります。古典的表現と現代的な表現との水と油的な混在もあります。もっと変なのは、大和の朝廷で、孝謙天皇と安倍仲麻呂が対話する場面 などを見ると、二人とも国籍・時代が不明の衣装を着て、典型的な京劇風な発声で、中国語で歌ったりする場面 など、変な気分になってしまいます。しかしこれも目くじらをたてずに楽しんだ方が愉快です。舞台は絵空事なのですから。この公演も賛否ありましょう。しかし、呉汝俊が京劇を21世紀に伝えたいという熱意は痛いほどわかりました。とにかく舞台芸術もいろいろあります。こんなものもあるということを御紹介しました。



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