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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.62 「物いへば 唇寒し 秋の風」  
2002年9月10日
  前回のこのページのうらわさんの「藤井修治さんの指摘にこたえてー」という文章でどなられているようでショックでした。僕はうらわさんのことを舞踊批評家の中でも最高にまじめで清廉潔白な人で、自らの現想に向かって日夜努力を続けて成果 をあげている人だと思っているのです。このページでも彼のことを時々ちょっと書いているのも、彼の真価を他の人にも認めて欲しいからなんです。
 ところが近ごろうらわさんのことを失礼な言葉で片づけてしまったりする声を聞くので、少々頭に来て、うらわさんの正当性を読者のかたがたに認めていただこうとして、あえて陰口を記したうえでその誤解を解いてあげようと思ったのです。あんな発言をした人がこのページを読んでいるかはわかりませんが、うらわさんの発言や行動を見聞しているはずです。第3者の僕が頭に来るぐらいだから御本人はもっと頭に来ていることは文面 からもはっきりわかりました。
 しかし人間は往々にして悪意がなくても無責任です。うらわさん御本人がやましくなければ自信を持っていままで通 り、多くの公演を見続け、全国各地の舞踊家たちを勇気づけ、日本の舞踊界を活気づけ向上させていただきたいと思います。そうすることで誤解を解くことができるのですから。2年半前にこのページを始める時に、うらわさんといっしょならといって執筆することにしたのは僕が彼を最も信頼しているからなのです。
 二人が書く内容は全く違います。これは僕がテレビのディレクター時代に物凄く忙しかったので早々に疲れが出てしまい、残された人生を自分の好みに合ったものを幅広く楽しもうと思ったからなのです。現在全力投球のうらわさんとはあまりに違うのですが、それだけにうらわさんの言動を支持するわけなんです。
 人の口に鍵はかけられません。僕も昔からいろいろ陰口をたたかれていたらしいです。一つだけ思い切って発表します。「オカマ」だって!カーン。残念でした。僕はまだ処女でーす。でもそういわれてみるとそう見えるかも。いまさら開業しても誰も相手にしてくれないだろうから笑い話としていえるのですが、当時はやはり不愉快でした。思い切って初体験すれば新しい人生が楽しめるかも知れませんがもう無理でしょう。これはお笑いですが、仕事のことでありもしないことをいわれて眠れないこともありました。しかしそのおかげで我慢強くなったようにも思います。長い時間をかけていやなことを忘れることで少しは成長できたかも。人間は人の数だけ違うんだということもわかって来ました。人の心も読めるようにもなりました。少し悲しいことです。しかし陰で何かをいわれているのを知らないで過ごすよりも知っておいたほうが自分を客観視できて、世界を立体的に見ることができるような気もするのです。
 ここのところ朝日新聞の朝刊で、詩人の大岡信さんが選ぶ「折々のうた」は初秋のうたが続いたのですが、 もう本物の秋です。9月8日は「物いえば 唇寒し 秋の風」でした。芭蕉の名句だそうですが、僕は芭蕉の句とは知りませんでした。ちょっと説教口調なのがいやでした。しかしこの句の前書きに「人の短をいう事なかれ 己(おの)が長をとく事なかれ」とあるそうです。なーるほど。芭蕉って怖い人でもあるんですね。しかしこういう句が出来たのも人の悪口をいって自慢ばかりする人がいたからなんでしょうね。
 サラリーマン社会では、帰宅途中の飲み屋で仲間の悪口から発展し、部長や社長が悪い、総理大臣が悪い等々華やかです。しかし悪口を酒の肴にして精神のバランスを保ち、明日のエネルギーにしているのかも知れません。舞踊家は批評家よりも同業の舞踊家に対しての悪口が厳しいようにも思われますが、それは自分の踊りが最高だと思っている芸術家魂からだったり、逆に自分の弱味を他人を悪くいってごまかしているのでしょうか。しかしこれも世間に認められない自分を元気づけているような気もします。人間って不思議な生物ですね。こういう話題では読者のかたがたもうんざりしておられるでしょう。方向転換しましょうね。
 9月11日はあの同時多発テロから一年です。感じることはあるのですが、テレビや新聞雑誌で偉そうな人々が論評していますのでおまかせしましょう。僕が読んだ中では映画監督のウディ・アレンの話に納得。「皆が祈るようだが僕は祈らない。僕の映画は政治的ではないが、僕は映画でこういうことがないようにしたい」といった感じでした。
 そして9月15日は「敬老の日」なので老人の立場から話をします。昔、母親が晩年になってパリに行って見たいといったので、NHK在籍中唯一1回の仮病を使って叔母と姉も連れてパリに行きました。とても喜んでくれました。その後母の身体が弱くなって10年ほどで亡くなりました。NHKを退職した理由の一つに母の介護もあったのです。その後、舞踊を見る機会に親しくなった一人に舞踊批評家の故八巻献吉氏がいます。彼が倒れて半身不随になられますと、やはり舞踊批評家の桜井勤氏が劇場通 いをお手伝いされたのですが、二人とも老齢で、一度は同時に転んでしまったとか。そんなわけで僕が劇場で八巻氏の歩行を手助けしましたら、「あんたは上手だねー」と感心してくださったのです。実は母の介護をしていたので少しは慣れていたのでしょう。そんなことから彼がもう外に出られなくなるまで歩くのをお手伝いしました。実は時間的には多分に負担でした。しかし彼が昨年春に亡くなったらひどく淋しい思いをしたのです。僕は彼を助けてあげたつもりでした。しかし「人」という字が人間が左右から支えあっているように、何となく彼も僕を支えていてくれたのかも知れません。
 鎌倉にある八巻氏のお墓にもお参りしてきました。未亡人がお淋しいと思って時にはお菓子をお送りします。未亡人の名前がわからなかったので送り状に八巻御令夫人様と書いたら、電話があり「私は御令夫人じゃないワヨ」とのお話で、次からはちゃんとお名前を書くことにしたのです。何だか偽善的に思われるかも知れませんが、これは僕自身も少々満足できるからなのでしょう。
 僕が八巻氏をお助けしたのは、彼が舞踊批評家だったからではありません。一人の御老人が困っているからお助けしただけなんです。僕は彼が書いたものをほとんど読んでいません。最晩年に彼が日本舞踊の雑誌に書いた草稿を送ってくるので、読者がわかるように手直しをお手伝いした程度なのです。でも少しはお役に立ったかと自己満足ができます。
 人間はどうしても肉親とか知人だけを心配してしまいます。しかし電車の中なんかで困っている人を見て恥ずかしがらないで助けてあげたりするようなちょっとした思いやりが必要でしょう。口でいうより行動してこそはじめて役に立つのですから…。
 こんなことも年をとってきて次第にわかってきたことです。年月が経って僕も肉体的にも精神的にも老人っぽくなって来ているようです。歩道橋を登らずに少し廻り道するとか、地下鉄では何輌目かに乗れば降りた時にエレベーターの前で降りられるかを覚えたりしています。座る時や立ち上がる時にヨイショとかドッコイショとか声を出したりもします。でもまだ動けます。動けなくなったりしたらどうしましょう。さらに記憶力や思考力も急速に衰えているようです。昨晩も友人と電話していて話題の人の顔が浮かんでもその人の名前が浮かばなくてエートエートで大困りでした。音楽が聞こえてくると、その曲のメロディーを口ずさんで終わりまでもわかっているのですが曲名が浮かびません。ショックですが受けいれなければならないのでしょう。
 先日、テレビでどこかの何とかセンターでこどもたちが老人体験をしていました。視野の狭いゴーグルをつけたり、すねに重いものを巻きつけたりと、こどもたちはびっくりしていました。これなどは老人になって見ないとわからないことです。僕もいろんな老人現象を感じるようになっています。残された日々を何とか明るく楽しく、多くの人々と仲よく生きたいものと思っています。敬老の日にことよせての老いの話。明るい話もありますので次回にもつづけたいと思います。



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