藤井 修治 | ||
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2002年9月27日 | ||
前回「敬老の日」にちなんでの話が途中で終わってしまいました。敬老の気持ちは本来一年中持つべきなので、ちょっと時期外れかも知れませんがあえてつづけます。 戦後、日本人の寿命がどんどん延びて、日本は世界一の長寿国です。それは即ち老人の比率がとても高いということです。ところが外国をあちこち訪ねてみると、日本は老人を大切にしない国だなと痛感してしまいます。昔は日本こそ親孝行の国だと思っていたんですけど、世の中が変わるにつれ人の心も変わったんでしょうか。現代は20才前の人達が一番偉いようです。アイドルの番組が多くて、それも楽しいんですが、僕なんかだれも同じに見えてきてしまいます。モームスのゴマキが脱退してソロ活動をするとか、それくらいはわかりますけど…。祝日にナツメロの番組があって昔の歌手を久しぶりに見ると何となく可哀そう。あの人まだ生きてたの?フケタネーなどと自分のことは棚にあげてつぶやく人もいます。そんな時、昔と変わらない若さを保っている人を見ると嬉しくなったりもします。 老人は老人らしくという考えもありますが、若々しく元気に見えることも大切です。見た目の若々しさなどは本人の心の持ちかたでだいぶ変わるようです。女性は化粧やプチ整形などでごまかせますが、男性はまだそこまで進歩していないようです。若い男性でそんなことばかり一生懸命な人もいるらしいですが、尊敬する気持ちと、もっと大切なことあるはずだという思いが交錯して複雑な心境です。 見かけと違って視覚とか聴覚などは年を追って衰えてきます。僕も40代半ばから字を読むのがきつくなりました。老眼です。若いうちは眼鏡にはお世話にならないと思っていたのに近年は老眼度が進み、新聞は眼鏡なしには読めません。さらに遠くもかすんで来ました。眼鏡をかけかえながら世の中を見ています。眼科の先生がいうには、人間は若いうちか老年かどっちかに眼鏡のお世話になるとか。 しかし物がはっきり見えないことがかえって物が見えるような気もします。眼がいいと細かいところばかりが気になり、ほこりやキズばかり目について、対象の形や色彩 がおるすになってしまいます。これは物事を把握する能力にも関係して目がぼんやりすると芸術でもまず巨視的な構成を見たりできるようになります。戸外で絵を描いている画家が時々目を細くして風景を眺めたりするのは、対象をわざとぼんやり見て大まかな形や明暗をつかんでいる場合が多いようです。年よりの負け惜しみかも知れませんが、僕も対象が細かく見えなくなったおかげで、逆に昔よりもはっきり物事が見えるようになってきたかと考えて自らを力づけているのです。 1976年でしたが、26年前にもう相当なお年だった大バレリーナ、アリシア・アロンソが初来日した時に、NHKのスタジオにもお迎えして「白鳥の湖」第2幕のグラン・アダージュを収録したことがあります。あのころの彼女はほとんど目が見えないとかの噂がありました。フロアの前面 に青と赤の三つの強い照明を置いて、彼女はその光を頼りに踊りました。彼女はもう一人では回転できず、立っているのも大変なようでしたが、パートナーのホルヘ・エスキヴェルはキューバの人間国宝をそれはそれは大切そうにサポートしていて、鬼気迫るような迫力のある踊りとなりました。オデットというには魔女のほうに近いこわい顔も美しく見えました。その後、彼女の全盛期の黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥの古いビデオを見た時、物凄いテクニシャンだったのでびっくりしました。しかし日本での危なっかしい踊りには若い人には到底表現できない深い境地が感じられたのです。彼女は収録直後にモニターに鼻がぶつかるほどに顔を近づけてプレイバックをのぞき込んで見ていましたが、ぼんやりとは見えたようで満足げでした。歌舞伎とか日本舞踊など日本の伝統芸能では年をとってから初めて高い境地に到達できる表現があるようですが、若さの芸術ともいわれるバレエでも同様なことがあるんです。僕なんかも目が悪くなってから見えてきたことがあるような気もするのは年の功でしょうか?負け惜しみでしょうか? 目だけでなく耳も少し遠くなってきたようです。無意識にテレビの音量を上げていることもあります。劇場で老優の声が聞きとりにくくて身をのり出すのも悲しい事です。でも考えかた次第です。ベートーベンは僕の半分ぐらいの年でもうほとんど耳が聞こえなくなっていました。耳が聞こえない音楽家!彼は自殺しようと遺書まで書きました。しかし後半生は立ち直って、人類が誕生して以来空前絶後の高くて深い音楽を書いています。心の中にすばらしい音楽が聞こえていたのでしょう。偉い! こういった例はいくらもありますが、見えないものを見たり、聞こえないものを聴くことは長い時間に才能や努力も必要でしょう。僕は一生懸命に働いたのですが、それが役に立ったのか無駄 だったのかわからずに、このごろはぼんやり過ごす時間が多いようです。でも先日読んだどなたかのエッセイで、現在毎日あくせく働いていてそれなりの収入を得ているが、小学生のころ、夏休みで何もすることがないのでねそべってぼんやりと空を見上げ雲の流れを追っていたあのころがいちばん豊かだったと書いてあったのです。僕もねそべってテレビを見たりCDを聴いたりしていると、貧乏なりにけっこうリッチな気分になってはいます。でも前からこんなに怠け者じゃないんですよ。やはり懸命に生きて来てようやく辿りついた境地じゃないかと思うことにしています。 先日の夜中、NHKの教育テレビの「芸能花舞台」を見ました。この回は敬老の日にちなんでか、小唄、上方唄、義大夫の3人の女性の最長老のお話と演奏を聞きました。3人の平均年齢は91歳とか。最年長99歳の小唄の千紫千恵(センシチエ)さんはアナウンサーの質問に応じ、終止エヘヘ、ウフフといかにも楽しそうに、50代なら50代のことしかわからなかったが、90代になってからわかることもあって歌いかたを変えたりしているとか。向上心に感心。記念の色紙に「一笑一若」という4文字。笑えば若くなるということでしょうか。お年寄りのいうことはやはり立派でした。思うに、何も偉い人でなくて、名も無い主婦でもお百姓さんでも、人生経験から生まれる実感がこもった言葉を聞かせてくれます。お金持ちや偉い人でなく普通 の人のいうことのほうが正しいことが多いとも思います。ということで僕は時によって変なこともいっているようですが、全体としてはまともなことをいっているつもりなんで、時々は耳を傾けていただきたいと思います。 日本の伝統芸能と違って、バレエの世界は体力や技術が優先するので、最盛期が若い時に訪れてあっという間に過ぎてしまうことが多いんです。さっき書いたアロンソは、体力や美しさの衰えだけでなく視力の衰えまでも克服してわれわれを驚かせてくれました。あのころの前後に東京で行われた第1回世界バレエ・フェスティバルで当時の世界バレエ界の長老アロンソ、フォンティン、プリセツカヤが顔を揃えて得意の演目を披露しました。その後アロンソはようやく引退し、フォンティンはなくなりましたが、プリセツカヤは最近も踊りました。トウシューズはもう無理で、「瀕死の白鳥」は瀕死の状態だったとか。それでも歩くだけみたいな「インセンス」で存在感を誇示したのは凄い。しかしその間に多くのスターが輩出しています。森下洋子、シルヴィ・キエム、アナニアシヴィリ、フェレ、吉田都、等々。そして多くの男性陣も。そしてその人たちも年齢を重ねています。時の流れはこわい。そしてそれだからこそ面 白いとも思います。 観客の一人である僕も目や耳だけでなく頭脳や体力も衰えています。人間は誰でも一日一日死に近づいているわけです。だからこそ充実した時を過ごしたい。そのいっぽうでのんびりと心身も休ませたい。欲ばりですが結局は休み休みがんばることにしましょうか。でも身体が動かなくなったらどうしよう。心配も絶えません。僕が何人かの御老人に多少なりとも手助けをしたように誰かが助けてくれたらいいなー!でもそれまで生きられるかなー?何か深刻になって来ましたが、もう少しは長生きさせていただいて、美しい舞台や演奏、そして美しい景色や花などをまだまだ見たり聞いたりしたいものです。そして敬老の心を持ちつづけ、時には行動に移すことで少しは美しい人生を送ることができるかなと思ったりもしているのです。 |
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