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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.69 「日本の現代舞踊にも歴史があります」  
2002年12月18日
 前々回のこの欄で、最近のバレエの公演を見てのお話をしましたが、今回は秋から冬にかけて面 白いモダンダンスやコンテンポラリーなどの公演を見て思いついたことを書きます。
 12月15日の夜10時からのNHK教育テレビの芸術劇場の一部で、7日に草月ホールで開催された石井漠没後40年記念「舞踊道」という公演の一部が紹介されていました。この催しは、コンテンポラリー熱が過熱していて石井漠の名も忘れられそうな時代にあえて日本のモダンダンスの先駆者のことも思い出させて将来への指針にしようとのことでしょうか。
 この日は昼夜2回の公演があって、僕は昼の部に行きました。この回ではまず「石井漠・21世紀への継承」と題してのシンポジウムで批評家の山野博大氏の司会で、パネラーに片岡康子、国吉和子、若松美黄というちょっと石井漠とあまり関係のなさそうな人が出席していたのが、かえって面 白い報告やディスカッションになっていました。つづいては、昼夜を通して石井漠の8つの作品が上演されました。大正8年から昭和23年までに作られた作品ですが、いまでも古めかしくなっていないのに驚きました。現代芸術は時代を反映したり先取りするものが多いのですが、そのためにかえってすぐ古くなってしまいます。ところがこの8つともにいまでも充分に通 用します。小規模ながら一作一作に別々の魅力があり、昔よりかっこよく上手なダンサー陣のおかげで全部が立派に見えました。
 日本の洋舞の先覚者の筆頭にあげられる石井漠(1886~1962)は秋田出身ですが早くに東京に出て、1911年に創設された日本における初の洋風の劇場である帝国劇場(帝劇)の第1期生となりました。明治維新以来、怒濤のように欧米の文明文化が押し寄せてきたわけですが、洋舞は最もおくれてやって来ました。日本では歌舞音曲の中でも舞踊はとかく蔑視されていましたし、洋舞は日本人の容姿にも向かないこともあり、洋舞の導入がおそく発展もおくれたわけでしょう。それでも帝劇の設立は90年も前のことになります。僕が生まれるずっと前のことなのですね。
 帝劇が開場した1911年にはまがりなりにも洋舞のようなものが上演されたらしいのですが、この年にオペラの上演をめざす歌劇部が開設されて、その中に石井漠、小森敏、伊藤道郎ら、初期の日本の舞踊界をになう大物が揃っていたのです。この翌年の1912年にイタリア生まれのオペラやバレエの演出・振付家のジュヴァンニ・ヴィットリオ・ローシー(ロッシが本当らしいです)という人が招かれています。彼はオペラやバレエの上演をするために来日したのですが、来て見ると日本人の基礎的な技術がないのに驚いて、まずダンス・クラシックの基礎を徹底的に教えようと考えたのです。しかし日本では昔から邦楽邦舞のお稽古ごとは、ポピュラーな作品を一曲一曲マスターして早くから人前で演奏したり踊ったりするのが常識でした。ところが欧米ではピアノやバレエはまず基礎的な訓練を毎日毎日くり返すことが必須の条件です。欧米と日本との教育方法の違いを石井漠らは知らなかったのです。そのためもあってか、ローシーに才能を認められた石井漠ですが厳しいレッスンの場よりも早期の発表の場が欲しくて結局はローシーのもとを去ってしまい、最終的にはモダンダンスの道に入ってしまいます。志を同じくしていた小森敏、高田雅夫、高田せい子らも結局はモダンダンスの道を辿ることになります。
 ということで、世界の舞踊の歴史は19世紀のバレエから20世紀のモダンへと流れるのに反し、日本人の容姿に合わなかったバレエの受容がおくれ、まずモダンダンスが洋舞の主流として隆盛を見せたのです。その中心にいたのが石井漠や江口隆哉、伊藤道郎らということになります。石井漠はいかにも日本的な容姿を逆手にとって日本人にしか表現できないような独自の「舞踊詩」といった作品を量 産し、晩年はカリスマ性を利して大作をもものにしました。彼は多くの人材を育て、優れた弟子には石井という姓を与えています。日本の伝統芸術の家元制みたいですね。現在、現代舞踊協会の会長をつとめておられる石井みどりさんは高弟の第一人者で、石井かほるさんは最晩年のお弟子さんです。現代は石井漠の弟子から孫弟子たちが日本のモダンダンス界の中心で大活躍する時代に入っているわけです。
 いっぽう戦前から戦後にかけて秀作を生んだ江口隆哉も教育者として優れ、多くの逸材を生んでおり、現在江口系の舞踊家も多士済々です。それに対し、世界的なスターだった伊藤道郎は現在その作風を伝える人が少くなっているのは淋しいことです。しかしながら現代芸術はその人一代のものという考えもあり、石井漠作品が再演されたのは珍しいことでもあり、嬉しいことでもありましょう。
 戦後、日本ではバレエが大ブレイクして現在の隆盛は御覧のとおりですが、すでにそれなりの歴史を持つ日本のモダンダンスの独特の魅力も無視できないものがあります。ところが、バレエに対抗して、こちらはモダンどころかコンテンポラリーを自称して必然性のない新しさや難解さを売り物にする傾向も強いようです。秋から冬にかけ多くのモダンやコンテンポラリーの舞台を見ました。その中から歴史の流れを感じさせる舞台がいくつもありました。
 12月4日・5日に新国立劇場で上演された現代舞踊協会と文化庁による「現代舞踊公演」は定評のある名作と気鋭舞踊家の新作の同時上演でした。後半はベテラン折田克子の「杜の譜ーかなりや抄ー」です。折田さんは石井みどりさんの娘さんですので、石井漠の流れを汲む人々の中でも恵まれた存在ですが、踊っても創ってもインパクトが強い人です。思い切った斬新な発想と手法を持っていて、いつも感心させられます。石井漠の伝統を大切にしながらも常に新しい作品作りで日本の舞踊界をリードしています。この会の最初の作品はいまが花盛りの武元賀寿子さんの新作「石のHANA-flower-」です。花の開花と肉体の開拓のイメージを重ねた意欲作でした。そして中幕は有望株の男女の新作が日替わりです。初日は内田香さんの女性群舞、2日目は伊藤拓次さんの男性デュエットが披露されました。この公演は現在のところモダンダンスの伝統の線上にあるはずですが、気鋭作家の意欲作を並べ公演名をCONTEMPORARY DANCE 2002としての前向きの姿勢を見せていました。
 11月末の埼玉芸術劇場小ホールでの若松美黄・津田郁子自由ダンス公演はすでに35回目です。戦前から前衛的な活動をしていた津田信敏門下らしく常に時代に先行しつづけた鬼才の舞台です。今回の「軸ナシ日」でも相変わらずの若々しい発想を見せてくれたのですが、ダンスを何とか多くの人々のものにしたいとの姿勢も感じられました。
 12月10日は西田堯舞踊団公演’02はセシオン杉並での「しゃぼんだま飛ばそ」です。懐かしいわらべ唄や童謡などを用いて遊び心を横溢させる舞台を見せながら、戦時に青春時代を過ごした西田さんらしく、戦争への憎しみを浮かび上がらせていたと思います。
 いっぽう前日には草月ホールで辻元早苗ダンスリサイタルでの軽いタッチの二作を楽しみました。数年前に芸術祭賞と受けたころから肩の力を抜いた感じが出て楽しく見ることができたのです。
 藤井公・利子夫妻に師事した加藤みや子さんは、意欲十分の催しをつづけていますが、今回は舞踏の最長老となりつつありながらいつまでも若々しい笠井叡さんと、舞踏出身ながらジャンルに捉われない自由な踊りを見せる伊藤キムさんとのコラボレーションでの「SAND TOPOS」で白い砂の上で不思議な時空を見せてくれました。伊藤キムにつづく人気者井手茂太は東京国際芸術祭の一環として、パークタワーホールで「暗黙の了解」という愉快な作品で成長ぶりを誇示しました。等々現代の舞踊公演は数え切れません。
 近年は一日にいくつもの洋舞公演が重なる日も多く、これらを全部見ることは到底できません。僕は残された時間も少くなってきたようですし、批評家でもないつもりですので、見たいものを厳選しながら行動しています。現代の芸術はジャンルを問わずよいもの悪いもの、本物偽物の区別 が不明確です。これを見きわめることが必要です。僕も才能は乏しいものの、多少長く生きてきて、多種多様なものを見たり聞いたりしてきた結果 の選択をしながら、少しでも多くの舞台に接するようにしています。皆さんも若いうちにできるだけ多くを見聞されれば、将来は時間の無駄 をせず得になると思うのですが・・・。



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