私が紹介するダンサーは「工藤聡」さんです。
工藤さんと知り合ったきっかけは、ベルギーの振付家シディラビシャカウイのリハーサルに遊びにいった時に、工藤さんがアシスタントをしていました。その後、私の作品『記憶の無い島』のドラマトージとして仕事をお願いしました。
はじめまして。工藤聡です。
ストックホルムを拠点にCompany KUDO(自身のカンパニー)で公演活動をしています。振付や教えの仕事も頻繁に行っています。
スウェーデン王立バレエ学校や、ベルギー王立バレエ学校などに振付作品を提供した事があります。またヨーロッパで活動する日本人ダンサーの伊藤郁女や大植真太郎らの作品にドラマトゥルギー、コラボレーションとして関わっています。
2007年にSidi Larbi Cherkaoui(シディ・ラルビ・シェルカウィ)の作品にダンサーとして出演し、その後アシスタントコレオグラファー、リハーサルディレクターとして、いくつかの作品のツアー公演に同行しています。
工藤聡さんのダンスを紹介します。
奥様のスティーナさんと共同制作した作品「ASURA」です。
伊藤さん。あなたが思う、工藤聡さんのスゴイところは何ですか?
そうですね。聡さんは、長い間日本を出ているのにも関わらず、日本の歴史や文化についてとても詳しく、日本人らしさを捨てないで生きていて、すごいと思います。仕事上では、すごく繊細で、カンパニーの一人一人に丁寧に接して、問題があるとすぐにそれを察してくれるのが素晴らしいです。
ありがとうございます。
私が思う郁女さんの凄いところは、自分の目標に対して絶対に妥協する事なく、確実に手に入れるまで脇目もふらず突っ走るところです。いろいろあるこの世界で、人に気を使って妥協する事は簡単だけど、郁女さんほど自分に厳しく前のめりに生きている人は少ないと思います。
○伊藤郁女さんから工藤聡さんへのプライベートクエスチョン
聡さんにとって、震災後の日本はどう変わっていってほしいでしょうか?
私たち海外在住の日本人になにができるでしょうか?
変わってほしいとかというのは難しいですね。僕は毎日インターネットで日本のニュースを見ています。マスコミが政治家を食い物にし、政治家が政治家を中傷する日本の姿は、見ていて悲しくもあり、また情けない気がします。片方で人々が助け合っている災害地の映像がテレビで流れているためでしょうか。良い面もあればそうでない面もあるのはすべての国でもそうだと思います。でも、番組のためのニュースや、視聴率のための事件の扱い方などのテレビやマスコミに左右されぬようになってほしいとおもいます。なかなか難しいかもしれませんね。
海外から見ている自分にはこう思えます。 福島県の人々も東京都の人々も同じ日本人です。被災者の方々はもちろん、政治家や東電で働く人々一人一人もまた日本人です。互いに支えながら、互いにリスクを抱えて生きているはずです。原発や政治家が悪ではないと思います。
海外在住の自分に何が出来るのか、それは3月からずっと考え続けています。 「日常が永遠に続くとは限らない」と考えるのはどこにいても同じだと思います。今の僕は自分の人生を見つめ直し、今の自分をしっかりと生きる事が、震災で亡くなった方々がそうあり続けたいと思っていた事ではないでしょうか。日本のために何が出来るかはわかりませんが、こちらで出会う人々に、日本が今どういう状況で、たくさんの人々が協力し合い、一日も早い復興に向かってがんばっている事を伝えています。
思い出の一曲とそれにまつわるエピソードを教えてください。
ジゼルの曲です。一曲と言っても選ぶのが難しいですが、1987年に初めてマッツ・エクのジゼルを東京で観た時、まるで本を読んでるような、映画を見ているような錯覚を起こすほどのめり込みました。この作品が、僕が海外に出た大きな原因になりました。ですから今でもジゼルの曲を聴くと初心に返らせられるような想いになります。
あなたが今までで最も影響を受けたダンサーは誰ですか?
また、その人からどんなことを教わりましたか?
柳下久美子さんです。肉体に引っ張られていく心、そしてその引っ張られた心が生み出す肉体の動き。心と肉体の双方が常に交差しながら織りなすダンスを見た時、それまで手探りで踊っていた僕には、はっきりとした一筋の光が見えたようでした。普段の自分に対して厳しいトレーニングと、その正反対のような心の自由さを持った方です。
今までのダンス人生の中で一番辛かった・挫折した出来事はありますか?
あるなら、そこからどうやって復活したかも教えてください。
左足の指のけがです。正式にはモートン病という病名です。ダンスを始めたのが18歳でしたから、遅れを取り戻そうと無理な稽古を重ねたせいだと思います。手術するまでに二年、その後リハビリの一年、26歳から29歳までダンサーとしての空白の時間を過ごしました。でも、この三年余りの間に教える事や振付、また映画製作技術を学びました。これらは自分の世界を表現していく上で、今の僕にとって大きな財産となっています。
初恋の思い出を語ってください。
中学一年生の頃に一目惚れした事が僕にとっては最も大きな出来事でした。両想いになる事は一度もなかったけれど、その後よい友達になり、今では僕の事を唯一もっとも長く知っている親友です。
最近一番感動した出来事を教えてください。
僕よりも7歳年上の先輩が劇団四季にいます。その方が病気になり何年も療養という形で一線を退いていました。が、今年春にその闘病生活を乗り越え、「ウィキッド」の舞台に復帰されました。ダンスと舞台への熱い想いが、肉体や年齢ののリスクを乗り越えたことは、僕にとってこれからの将来にとても勇気を与えれくれたと同時に、本当にお世話になった先輩だけに自分の事のようにうれしかったです。
プロフィール
工藤聡
1967年生まれ、名古屋市出身。
18歳で上京、JAC養成所17期生。ジャズダンスを宮崎渥巳、バレエを東京バレエ団の溝下司郎、モダンダンスを小池幸子に師事。ダンス公演をはじめ、ミュージカル、テレビ番組などに出演。1991年、ニューヨーク留学。エイリースクールやジェニファー・マラー(Jennifer Muller/The Works)などで勉強、ペリーダンスアンサンブル(Peridance Ensemble)などで踊る。またニューヨーク・フィルム・アカデミーで映画撮影の勉強もした。
'98年渡欧。デンマークのディニッシュ・ダンスシアター(Dansk Danseteater)や、オハッド・ナハリン(Ohad Naharin)の作品に出演。またストックホルムでは2000年よりバレエアカデミーにて6年間講師として教えながら、たくさんの作品を制作した。2009年には、スウェーデン王立バレエ学校とベルギー王立バレエ学校に作品を制作した。
2002年にCompany KUDOを設立。'03年ストックホルムのソロ振付コンペティションで第二位と観客賞を受賞、ポーランドの振付コンペティションでは第二位とディアギレフ賞受賞。ストックホルムを始め、フィンランド、キプロス共和国、また2005年9月には愛知県国際芸術フェスティバルで公演している。個人としては、 2005年1月に愛知県知立市のパティオダンスプロジェクトにゲストアーティスとして出演、平山素子(中学時代の同級生)とデュエットを踊った。
2006年からベルギーの振付家シディ・ラルビ・シャルカウィ(Sidi Larbi Cherkaoui)のプロジェクトに参加、作品「Myth」に出演する傍ら、シェルカウィのアシスタントコレオグラファーとして「Apocrifu」(首藤康之出演)、「Origine」(上月一臣出演)、「Sutra」(中国少林寺武僧出演)を制作、リハーサルディレクターとしても各国へのツアーにも参加している。
最近ではストックホルムにて大植真太郎と作品を共同制作、公演をしている。2011年にはパリ在住の伊藤郁女の作品にドラマトゥルギーとしても参加した。