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カバーストーリー

ダンスの世界で活躍するアーティスト達のフォト&インタビュー「Garden」をお届けします。

HOMEカバーストーリー > カバーストーリー 西島千博 01

日向灘の光と風を身体に受け、のびのびと育った少年は、パリと東京の空気を吸って大きく成長。今はアーティストとしてテレビ、舞台と幅広く活躍する。その人こそ、美しい容貌とプロポーション、確かな表現力とオーラで多くの人々を魅了し続ける西島千博さんだ。そんな彼が真情あふれる少年時代を、そしてバレエへの思いを語ってくれた。

Interview,Text:林 愛子 Aiko Hayashi Photo:長谷川香子 Kyoko Hasegawa
西島さんは物心ついた時からダンスが身近にあって、ごく自然に踊り始めたのですか。
「そうです。僕の場合は、気がついた時には衣食住の中に、欠かせないものとして踊りという文字があったんですね。」
おばあ様がバレエのスタジオを、お父様が社交ダンスのスタジオを主宰されていた。
「でも、逆にそういう環境のためにバレエなんかやりたくない、となってもおかしくなかったともいえます。男の子にとって、バレエはすごくむずかしいものだから。実は、僕が3歳の時に祖母は亡くなったので、祖母から教わったことは覚えていないんです。でも祖母の葬儀をバレエ・スタジオでやった時に、バレエ関係者の方が大勢いらしていて、祖母の振り付けた作品の曲を流していたら、僕が急に踊り出したんだそうです。なぜかその曲の振り付けを全部、皆さんの前で踊ったと、母がよく言っていましたね。」
そのことは覚えていらっしゃる?
「覚えていないんです。みんなは、祖母が伝えたいことがあって、僕の中に入ってきたんじゃないかと話していたそうです。」
不思議なお話ですね。
「はい。それからは剣道やピアノ、とにかくいろんなことをやりました。なかでもやっぱり踊りは好きだったんでしょうね。ただ、息子だからといって特別なレッスンを受けさせることもなく、他の生徒とまったく一緒で週に一回のレッスンしかやりませんでした。」
あとは好きにやりなさい、と。
「そうです。発表会があればみんなと一緒に踊るけど、特別な役を踊ることもなかった。でも僕は学校で男の子同士ワイワイ遊んでいても、バレエという、人とは違うことをやっていることはわかっていた。みんなができないことをやっているという思いがちょっとあったみたいです。ふつうは男の子って、学年が変わったりした時に自己紹介で、バレエをやっていることを隠すんですって。」
そういう話はたくさん聞きますね。
「だけど僕は話すんです。今からバレエのレッスンに行くって言うといじめられる、という発想の真逆で。小学生の時、みんなからバレエってどんなの?って聞かれると跳んだりはねたりしてみせる。すると、わあ、すごいね、自分もやってみたい、となる。バレエがきっかけで、友達を増やしたんです。」
それは素敵ですね。初舞台はいつですか。
「3歳で、母が振り付けた「ふたあつふたあつなんでしょね」っていう曲を踊りました。よく覚えているのは小学校1年の時のこと。母が音楽のコンサートに連れて行ってくれて、舞台のそでで、もし踊りたかったら出ていらっしゃいと言われた。指揮の先生が母の友人だったらしい。それで、即興で踊ったんです。自分でこれがしたいというのは、その頃からあったんじゃないかと思います。弟もそうですが、うちは親が先に選択をしないで、本人に任せるっていう環境だった。こうしなさいではなくて、どうしたいの?と。僕たちは、自分の意志で行動するっていう習慣が子供の時からついていたかもしれません。」
先日もスーパー・ダンス・プレミアムの公演で弟さんとも共演なさっていました。ご兄弟でクラシック、社交ダンス、とちょうどうまくあとを継がれたんですね。
「両親は弟も今のようになるとは思っていなかったそうです。おじが道場をやっていた関係で、弟も柔道をやっていた。彼が小学生で僕が中学生の頃、他のものと同時進行で社交ダンスの練習も始めました。なんとなく、彼は社交ダンスが好きだったようです。」

公式hp http://www.neoballet-nishijima.jp/
公式ブログhttp://ameblo.jp/nishijima-kazuhiro/
西島千博
Kazuhiro Nishijima
バレエダンサー/演出・振付家
宮崎県出身/ 1971年10月21日生/ 天秤座 AB型
舞台を中心に、テレビ・映画・CM・ラジオ・雑誌・イベント・モデル等で活動する他、
バレエクラスの特別講師や、バレエコンクールの審査員も務めている。
演出・振付家、プロデューサーとしてつねに新企画を発表、
エンターテイメント性溢れる独自の世界をあらゆるジャンルから表現出来るアーティストとして、
クリエイティブに斬新な活動を展開している。

3歳より祖母が創立した宮崎の伊達バレエスクールにて母、伊達由伺子よりクラシックバレエを学ぶ。
14歳から18歳まで父、西島三雅が主宰する西島ダンスアカデミィにてボールルームダンスも学び、
17歳で西日本のアマチュア競技会にて優勝など、数々の大会で上位に入賞。
1989年東京新聞主催全国舞踊コンクール、日本バレエ協会主催全日本バレエコンクールにてファイナリスト。
同年、こどもの城青山劇場主催「青山バレエフェスティバル」初出演、以降98年まで連続出演を果たす。
90年渡仏。91年、フランス・カルポー賞国際バレエコンクール男性シニア部門第一位受賞。
その後、「バレエクラシックドパリ」ヨーロッパ数ヵ国のツアーおいて100回を越える公演にソリストとして出演。
帰国後、日本バレエフェスティバルへの出演や日本のトップダンサーが集結した「東京フェスティバルバレエ」アメリカ公演ツアーに出演の他、日本を代表する振付家の作品に多数出演。
94年には、サンフランシスコバレエ主催「united we dance」国際フェスティバルに日本を代表するダンサーとして選出された。
94年~05年、スターダンサーズバレエ団にて世界を代表する振付家の作品に出演、
プリンシパルダンサーとして活躍。
現在は、NEOバレエプロジェクトの新展開を発表、
オリジナリティ溢れる表現世界を様々なジャンルで幅広く活動中。