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カバーストーリー

ダンスの世界で活躍するアーティスト達のフォト&インタビュー「Garden」をお届けします。

HOMEカバーストーリー > カバーストーリー 横井茂 × 金田和洋 01
早くから舞踊作家として問題作・名作を生み出して日本のダンス界を牽引しながら、後進の育成に携わってきた横井茂氏。バレエ団での活動の後、創作とバレエ教育で高い評価を得ている金田和洋氏。当コーナーのレギュラーインタビュアーである林愛子氏を加え、重鎮とベテランが、ユーモアを交えて楽しく語るダンスへの愛、創作への思いは尽きない。
Interview,Text:林 愛子 Aiko Hayashi Photo:川島浩之 Hiroyuki Kawashima
 バレエへの道
横井先生が最初にバレエと出会われたの『白鳥の湖』だったそうですが。
横井 「はい、昭和21年の8月に旧帝国劇場で。その前の月に東宝の『夏の夜の夢』を見ました。するとプログラムのすみに“バレエ白鳥の湖”とあって、バレエって何だろうって聞いたら、踊るものだよ、と。それまで僕は医者になろうと思っていたんですが、劇場から出てきた時にはもうバレエをやろうと、それしかなかったんです。」



先生はそれがきっかけで、小牧バレエ団にお入りになった?
横井 「僕の父は能役者、能の家元で邦楽の家系でした。それで父親に許しを請うわけにはいかず、大学に行っていることにして月謝を出してもらってバレエをやっていました。」
それがいつか知れるところとなって。お父様はなんとおっしゃったのですか?
横井 「昔の有楽座に、父は一回来てくれました。『白鳥の湖』を2幕まで見て帰っちゃった。母に聞くと「やっていることが同じだろう」と言っていたと。考えてみたら”白鳥”ってやたらアラベスクが多いんですね。」
金田 「ほんとうにそうですね。」
横井 「父からすれば同じ形にしか見えなかった(笑)。結局1964年に『リチャード3世』をバレエ化して芸術祭の大賞を私がもらった時に、初めて手をついて「おめでとう」、と。そして「バレエってなかなかいいもんだね」と言ってくれました。」
金田先生は学生時代になさっていらしたバレーボールからバレエのほうに(笑)?
金田 「音楽が好きで体を動かすのが好き。ダンスには縁がなかったんですが大学時代、東京にいるんだからちょっとやってから田舎に帰ろうかな、と舞台芸術学院のミュージカル科で勉強するようになりました。最初はジャズのほうが好きで、でも基礎のクラシックを勉強してからほかに行こうとレッスンを受けているうちに、はまり込んでいったようです。」
横井 「バレーからバレエというお話がありましたが、僕たちが小牧バレエ団にいた頃、よく旅公演で行った先ではバレエ団がバレー選手団と間違えられましたよ(笑)。」
横井先生は初舞台が『シェヘラザード』だそうですが、その記憶は強いものですか?
横井 「すごく残っています。やはり有楽座で、主役が谷桃子先生と小牧先生、服部先生と島田先生の2組で僕たちは銅の奴隷。3つの扉を開けて出てくる場面で、僕はバレエを始めて3か月ぐらいだったもので、いつも前に人がいてくれてよかった。ある日、風邪が流行って僕の前に誰もいなくなっちゃって、心臓がバクバクいった覚えがあります(笑)。」
金田先生の初舞台はいかがでした?
金田 「クラシックではたぶん江川明先生の『くるみ割り人形』です。舞台芸術学院にいた頃、ねずみの役をバイト感覚で。その後、松山バレエ団で森下洋子さんや清水哲太郎さんの作品づくりや外国の先生の振付作品で、どうやってバレエができていくのかを見せていただきました。松山先生の直感的な指導にもこちらがなるほどと納得させられるんです。先生がよくおっしゃっていたのが「その気になればいいのよ」(笑)。確かにそうなんですがなかなかその気になれない。子供さんにもすぐその気になれる子と、きれいなものを持っていてもなかなかなれない子がいますね。技術的なことを伝えるだけでなく、必要なのは感覚的なものを開かせてあげる、いい時を見つけてほめてのせてあげることでしょうね。僕もたぶん、のせられてこの道に入ったんじゃないかと思うんです(笑)。」
横井 茂
shigeru yokoi

1930 東京生まれ、父は能楽宝生流17代目家元の宝生九郎
1948 小牧バレエ団入団
1949 東京バレエ団第6回公演「シェへラザード」(帝国劇場)で初舞台を踏む
1954 小牧バレエ団を退団後、東京バレエ協会の結成に参加
1955 東京バレエ協会公演(日比谷公会堂)
「ジゼル」 ジゼル:広瀬佐紀子 アルプレヒト:横井茂
1957 横井茂・太田招子バレエ団公演(日本青年館)
初振付作品「鼻」「美女と野獣」
1960 東京バレエグループ結成。第一回東京バレエグループ公演(東横ホール)
「オルフェ1960」「城砦」 文部省芸術祭奨励賞。舞踊ペンクラブ作品賞受賞
1962 「ハムレット」 文部省芸術祭奨励賞。舞踊ペンクラブ演出賞受賞
1964 「リチャード三世」 文部省芸術祭賞。舞踊ペンクラブ作品賞受賞
1966 「オセロ」 文部省芸術祭奨励賞受賞
1967 「リア王」 文部省芸術祭奨励賞受賞
文部省海外派遣芸術家在外研修員第一期生としてアメリカ、ヨーロッパにて研修
1969 「ソドムとゴモラ」 文化庁芸術祭奨励賞受賞
1970 文化庁芸術祭主催公演「交響曲」「ロミオとジュリエット」
第一回舞踏批評家協会賞受賞
1971 「オンディーヌ」 文化庁芸術祭優秀賞受賞
1972 「鮫」 文化庁芸術祭優秀賞受賞
1975 「変容の鐘」 文化庁芸術祭優秀賞
東京新聞全国舞踊コンクール石井漠賞受賞
1976 「パ・ド・ドゥ」「沈黙」により芸術撰文部大臣賞受賞
1978 「パ・ド・ドゥII」「白炎」 文化庁芸術祭優秀賞受賞
1979 「昭和二十年夏」 文化庁芸術祭優秀賞、橘秋子賞受賞
1980 文化庁芸術祭主催公演「風の馬」「ペスト」
1984 文化庁、国際交流基金、NHKの支援を得て、アメリカ・カナダ公演(4月より9週間にわたり30回)、大きな成果をおさめた
1990 文化庁芸術家在外研修員の会企画出演、青山劇場・東京グローブ座主催、文化庁芸術特別推進事業、「妖精の女王」の総合プロデューサー、及び、演出・振付
1992 文化庁芸術祭主催公演にて「ヤマタイカ」を上演、舞台芸術振興基金の援助を受け、大阪、北九州、福岡、熊本、延岡、徳島等にて公演
1993~ 東京グローブ座にてウィリアム・シェイクスピア作品の連続公演を行う 「ファンファーレ」「夏の夜の夢」
1994 「オフィーリアは水の精」「リチャード三世」
紫綬褒章受章、グローバル松山樹子賞受賞
1995 「リア王」
1996 「冬物語」
1997 「テンペスト」
1998 「冬の蝶」
日本バレエ協会「舞踊文化功労賞」受賞
2002 文化庁芸術家在外研修員の会公演「カルミナ・ブラーナ」の演出・振付 勲四等旭日小綬章受章
2008 「舞踊生活60周年 横井 茂バレエ・リサイタル」(新国立劇場 中劇場)
他に、次の作品を創作発表している。「無言歌」「ドン・ファン」「ノクターン」「賛歌」「皇子の名はタケル」「幻」「不死鳥」「おでこのこいつ」「うてなの上に」「求塚」「さとうきび畑の墓標」「ジャンヌ・ダルク」「青髭」「風さそふ花」「Der krebsJ「め組の男」等。 また、「ラインの黄金」「タンホイザー」「ルサルカ」「ユニコーン」等のオペラの演出振付、オペレッタの振付、日本舞踊の構成演出も数多く行っている。