(2014.10.6 update)
カルメンの奔放と激しさ、アンナ・カレーニナの一途と優雅さ、ジゼルの可憐と純粋さ。日本を代表する“踊る女優”は、昨年から今夏の舞台でもドラマを自在に紡ぎ出して客席を圧倒した。天性のたおやかさのなかには、人なつこさと可愛らしさものぞいて、出会う者の心をつかんでは離さない。
Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi
スコッティッシュで学んだ芝居
輝かしいプロフィールから、下村さんほど「迷いがない」という印象を受けるバレリーナはいません。でも最初はフィギュアスケートをなさっていらしたんですね。
母が舞台なら何でも好きで、特に宝塚に憧れていたそうです。背が低かったのであなたダメよと言われて、娘たちに夢を託せないかということだったんですけど、こちらはまだ小さいからわかりませんよね。で、母方の祖父がスケートをやっていたので、リンクに連れて行ったら迷わずスーッと滑ったそうで、祖父がこの子にやらせたらいいと言ったのがきっかけです。最初から運動は好きでした。
その素晴らしいテクニックですから、運動神経が並外れて優れていることは間違いないです。まずお聞きしたいのは、なぜあんなふうに役を生きることができるのでしょう?その集中力はどこから来るのですか?
やっぱり、スコッティシュ・バレエで勉強させられたからかもしれません。あちらはなんといっても演劇の国ですよね。「ロメオとジュリエット」でジュリエットをやらせていただいた時に、周りは皆さん踊り手というより役者さんみたいで、全部、語るんですね。私が振りでそれを表現しようとしたら違うと言われて、ジュリエットになってくれないと困るって。動くことで勉強してきたものですから当時はわからなくて。向こうでは、動く、回る、足を上げる、そう言う事ではない、と。演じてくださいということをずっと言われ続けました。
役へのアプローチとか、解釈とかが中心で。
それと間(ま)ですね。全キャスト、1つの役に3、4人組まれています。だから相手役は3、4人いて、その全員とできないとダメで、パートナーがいなくてもできなければいけない。あとお父さん、お母さん役の人たちがミックスされていて、誰それが怪我をした、それではこの人と、という具合でした。舞台は生(ナマ)のものだということで、Aさんはこういうふうにやるけど、別の人になったら違ってくる。すべて生きている、カウントではない、全部が芝居でしたね、スコティッシュ・バレエでは。
それともう一つは、日本でのミュージカルです。「回転木馬」に出演した事が私にとっては突破口になったような気がします。それまでは、たとえばマイムにしても振りとして考えていました。この手が出たら次はこっち、というように。そんなことを考えているうちはダメでしたね。スコティッシュではステップ一つ一つが台詞だということを言われ続けたんですが、なかなかわからなかった。そういう経験があってミュージカルをやらせていただき、こういうことなんだ!と。そのあとは演じることがすごく好きになりました。
フィギュアスケートからバレエへ
スケートはバレリーナになるために習ったということですか?
児田舎ですから、夏場はスケートリンクが市営プールになっちゃうんですよ。それでコーチから、夏場はリンクもないのでどこかでバレエの基礎を学んでください、といわれて行ったのが川副先生のお稽古場なんです。
それがバレエとの出会いで。
はい、川副先生のところに出たのは夏と冬で、夏はスタジオの中でコンクールみたいなことやって、冬に大きな「くるみ割り人形」をやります。冬場はスケートもするんですが、川副先生が、怪我をするからバレエのためにフィギュアスケートはやらないでくださいって。スケートでは基礎をやっていましたが、時間が足りない。そうするうちに比重がどうしてもバレエになっていって。
おじいさまやお父様がスケートに期待をかけていらしたことでしょうね。
すごく残念がっていましたね。
川副先生のところで始めた時から、バレリーナになりたいと思われたんですか?
たぶん発表会で「くるみ割り人形」のクララ役をやって、コンクールに出してくださって。9歳から始めて11歳の時には賞をいただきました。それで楽しくなってバレエやりたい、となったみたい。小学校卒業アルバムにはバレリーナになりたいと書いていましたので。
それからは華やかなキャリアを積まれて。やっぱりバレエに選ばれた方なんですね。
今は周りの人にプッシュされているんだと思うんです。私は、演出もミストレスも、スケジュール管理も衣装さんのミーティングも全部自分でやっているんですけど、それでなおかつ踊れることが喜びなんです。そうやって突きつめていった時に、どのぐらいの力を自分が出せるんだろうと思うのが、おこがましいんですけどおもしろいんです。
舞台でも、由理恵さんが出演者を引っ張っているということがよくわかります。九州、福岡は芸術・芸能に長けた土地柄で多彩な人たちが輩出されていますね。何人兄弟で育ったのですか?
兄、姉、私、弟の4人です。会社が倒産していろんなところを転々としてけっこうたいへんで、そのなかで私だけバレエを習わせてもらいました。私が比較的早く家を出て行って、兄弟はホッとしたんじゃないかと(笑)。ポンと放り出してくれた両親には感謝しています。
下村由理恵 Yurie Shimomura
下村由理恵バレエアンサンブル代表 9歳より福岡の川副恵射子バレエ学苑にてバレエを始め、1982年小林紀子バレエアカデミーに入所。翌年、同バレエシアター入団。1985年同シアターを退団後はフリーとして活動。1990年文化庁芸術家在外派遣研修員として、イギリス、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団にて研修。その間、英国スコティッシュバレエ団に招かれ「ジゼル」「白鳥の湖」「レ・シルフィード」「ナポリ」等に主演。1992年には、同バレエ団とプリンシパル契約、1993年からはゲスト・プリンシパル・ダンサー契約し、主に英国の舞台にて活動、現地での高い評価を得て、1997年からはパーマネント・ゲスト・アーティストとなる。1999年帰国。2002年には、ニュージーランド・ロイヤルバレエ団に招かれ「白鳥の湖」全幕公演に主演。国内においては、1995・1996年東宝ミュージカル「回転木馬」(K・マクミラン振付)にルイーズ役として各地で公演。日本バレエ協会主催公演他、都民芸術フェスティバルには2000年より連続して主演。また数多くの国内バレエ公演にて主役を演じ、現在、名実共に我が国を代表するバレリーナとして活躍中。 スーパーガラ・パフォーマンスにて(ロリン・マゼール指揮)熊川哲也とドンキホーテのグランパドドゥを披露。またイタリアのスポレートフェスティバルにも招かれる。 ザ・バレ・コン福岡(決戦)、オールジャパンバレエユニオンコンクール(決戦)審査員。 |
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