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カバーストーリー

ダンスの世界で活躍するアーティスト達のフォト&インタビュー「Garden」をお届けします。

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テレビ、ミュージカルとスケールの大きい活躍でダンス界をリードし続ける名倉加代子。音楽と一体になったキレとダイナミズムと繊細さにあふれる舞台は常に観客を魅了する。粋でおしゃれでカッコイイ――このすべてにあてはまる名倉の言葉に、誠実な人柄と前向きな生き方がにじみ出る。
Interview,Text:林 愛子 Aiko Hayashi Photo:川島浩之 Hiroyuki Kawashima
やはり先生は小さい頃から、音楽を聞くと体が自然に動いてしまうようなお子さんだったんですか?
「そうですね。これは両親に感謝なんですけれども、物心ついた時からクラシック音楽の渦のなかで生活していましたね。父はヴァイオリンやピアノ、母の趣味も音楽でした。私は踊ることが好きでしょうがなくて小学校4年生の頃に児童舞踊を始めて、そのあとバレエに変わったんです。」


それで竹部玲子バレエ団にお入りに。
「そうです。バレエしか踊りじゃないとずっと思っていました。ところが竹部先生がテレビに進出なさって、先生に出演するようにいわれたんです。」

じゃ、引っ張り出されてしまった。
「はい、最初はもう拒否反応。テレビの世界なんて絶対いやだと思っていました。」
当時「光子の窓」や「サウンド・イン・S」などたいへんな人気番組。実は私、ずっと拝見していました。スタジオNo.1ダンサーズやホリデー・ガールズにいらした頃です。子供心にとてもお綺麗で目立っていらして、素敵だなと、もう毎回楽しみでした。ご両親は、舞踊家になって欲しいとは考えていらっしゃらなかったんですか。
「両親は子供が好きなことは自由にやらせようという考えでした。それで姉はピアニストになり、私は踊り、下の妹はヴァイオリニストになった。4人姉妹の末っ子は社交ダンスを趣味でやっていますが、それが一番幸せかなと思って。ほかはみんな専門家ですが、やはりプロの世界は厳しいですから。」
幅広いご活躍をなさっていらっしゃる先生のベースには、クラシック・バレエが…
「それがなかったら今の私はないです。クラシック・バレエは私の原点なんですね。私は、制約のなかじゃないと何も磨かれないと思っています。ジャズも”ねばならない”ことは一杯。音楽をはずしてはならない、ノリが悪くてはならない、素敵じゃなくちゃならないというふうに。なんでもいいという踊りは、そこからひとつ出ることは難しい。バレエは時計の針のように正確でなくてはならない。その制約があるからいいんですね。」

いつ頃バレエを始められたのですか?
「私は新潟生まれなんですが、父が銀行員でしたから転勤に継ぐ転勤で、福井に転勤した時に、竹部玲子先生の支部に小学校6年から入りました。虚弱体質で朝礼では立っていられずにすぐ医務室に行くような子供だったので、両親はバレエもすぐやめるだろうと思っていたんですが、始めてから逆に丈夫になりました。児童舞踊のような感性で踊る踊りを最初にやって、バレエをあとからやったことは、今の仕事にはよかったと思っています。たとえば蝶々を見たら飛び立つような踊りをしたいとか、感性を磨くことが一番先にあっていいんじゃないかと思うんですね。」
名倉加代子
Kayoko Nakura
演出・振付家
新潟県出身
新潟県生まれ。福井県立藤島高等学校卒業後、NTVの「光子の窓」でデビュー。その後独立、「スタジオNo.1ダンサーズ」の一員として、TV、舞台各方面で活躍する。1969年、渡米。その後フリーとなり、TBS「サウンド・イン・S」ではダンサー兼振付を担当。その振付の斬新さは注目を浴びる。1970年に、「名倉ジャズダンススタジオ」を主宰、後進の指導にあたる一方、舞台・TVなどの振付を手掛け現在に至る。著書に「名倉ジャズダンスレッスン」(講談社)、「踊りつづけて」(佼成出版社)などがある。1995年、NHKTV「魅惑のジャズダンス」で講師をつとめる。日本ジャズダンス芸術協会専務理事・日本振付家協会理事・名古屋芸術大学客員教授。
主な作品:ミュージカル「アニー」「ガイズ&ドールズ」「大草原の小さな家」「心を繋ぐ6ペンス」「少年隊プレイゾーン」「森は生きている」などの他に、スタジオ公演「Can't Stop Dancin'」(17回)、宝塚歌劇団、熊川哲也「メイド イン ロンドン」「K バレエカンパニー ジャパンツアー」などの舞台、TV、イベント、CM 他の振付を手掛ける。また、1996年には、ミュージカル「シェルブール の雨傘」(博品館劇場)で、振付と共に初めて演出を手掛け、好評を博す。名倉ジャズダンススタジオとして2004年度舞踊批評家協会賞を受賞する。