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カバーストーリー

ダンスの世界で活躍するアーティスト達のフォト&インタビュー「Garden」をお届けします。

HOMEカバーストーリー > カバーストーリー 鍵田真由美×佐藤浩希 01
鍵田真由美と佐藤浩希。その舞台は見ている者の心を高揚させるほど熱いエネルギーを放ち、やがてホッと和ませる磁力で包み込む。まるで違う道を歩み、最高のパートナー・シップを築いた二人が、今、改めて語る出会いまでの軌跡とフラメンコの魅力。
Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi  Photo : 川島浩之 Hiroyuki Kawashima
以前に見たお二人の「FLAMENCO曽根崎心中」は強烈でした。歌舞伎では様式的に主人公がいかに美しく死にゆくかを見せるんですが、「FLAMENCO曽根崎心中」は生きろ、生き抜けという熱が伝わってきて。
佐藤「私たちもお客さまに悲しみとか切なさを感じていただきたいというのはありましたが、それ以上に生き抜くことの大切さを表現したかったんです。」
フラメンコは他のダンスと違って大人になって自発的に始めて、熱心になる方が圧倒的に多いですね。
鍵田「バレエや日本舞踊をやっていた人が、ある時フラメンコに出会ってしまってはまり込むこともよくあるみたいですね。」
 

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よく知られていますが、佐藤さんは福祉関係のお仕事から転身なさった。とにかくレッスンをしたいと思ったんですか?
佐藤「プロになりたいなんてみじんも思っていませんでした。甘い世界じゃないし、ましてや二十歳だったので。趣味で始めて、就職はしようと思っていたんです。ところがどんどんのめり込んでいってしまって。」
きっかけは鍵田さんの舞台と、アントニオ・ガデスのビデオで
佐藤「『血の婚礼』です。もうすごい衝撃を受けて。ボランティア活動のなかで接していた知的障害の方って突然大声で叫んだり、自虐行為に走ったり、バタバタって暴れたり。そういうなかにエネルギーとして人間の素のままの衝動とか、今、生きてるっていう命の息吹みたいなのを僕はすごく感じていたんです。目も動かない、ただ食べるだけのお年寄りの介助もしていたんですけど、動けないからこそ食べる力とか排泄することに逆に命を感じて。福祉の世界で見ていたその動的なものが、フラメンコでは芸術として成立しているのを見て、こういう世界があったのか、って。」
 
もともと福祉のお仕事を選ぼうとなさったのはどのようなきっかけだったんですか。
佐藤「うちの母がリウマチでなかなか身体の自由がきかないということがあったり、母子家庭だったので働きに出ていたり。家は田無市、今の西東京市なんですが近所におじいちゃん、おばあちゃんが大勢住んで村みたいになっていて。親族じゃないのに、そのおじいちゃんおばあちゃんに僕はなにもかも面倒を見てもらって育ててもらったんです。」 鍵田「東京の話じゃないみたいですよね。」 佐藤「小学校から家に帰るとランドセル置いて、近所のおじいちゃんのところに行って水戸黄門や必殺仕事人のような時代劇を見るというのが僕の過ごし方だったんです。」 鍵田「一緒にお茶飲んで(笑)。」
佐藤「お年寄りの話を聞きながら。人にはこう接しないといけないとか、ああしなさいこうしなさいじゃなくて、いい意味での躾をたくさんしてもらった。僕が大人になった時に恩返しというのはすごく恥ずかしいんですけど、なんかできたらいいなって思って。」
 
  ARTE Y SOLERA 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコスタジオ
鍵田 真由美
Mayumi Kagita

 幼少の頃からモダンダンスを習い、クラシックバレエ、ジャズダンスなど舞踊全般の研鑚を重ねる。日本女子体育短期大学・舞踊科卒業。在学時にフラメンコと出会い、豊かで力のある表現に魅了される。
 1990年河上鈴子スペイン舞踊新人賞を受賞したのをきっかけにフラメンコの世界へ。佐藤桂子、山崎泰に師事。1991年にスペインに留学。渡西を重ね、著名舞踊家のもと研鑚をつむ。1992年スタジオ「ARTE Y SOLERA」開設とともにフラメンコ舞踊クラスを開講。フラメンコ舞踊家としての本格的な活動が始まる。1993年初のリサイタル「AY, LEJANO...」を発表。1994年「とけない刻」ではモダンダンスとコラボレートし、ドラマチックで幻想的な新しいフラメンコの世界を提示。これは他のジャンルとのコラボレーションでフラメンコの可能性を示すという鍵田作品の原点となる。1998年に発表した「レモン哀歌 ?智恵子の生涯?」では能やハーモニカとの共演を成功させ、文化庁芸術祭新人賞を受賞。
 2001年の初演から再演を重ねる阿木燿子プロデュース・作詞、宇崎竜童音楽監修・作曲の「FLAMENCO曽根崎心中」では、近松門左衛門の作品を初めてフラメンコ化するとともに、全編日本語の歌詞で歌うという偉業を成功させ、文化庁芸術祭優秀賞を受賞。2004年には同作品でフラメンコの殿堂“フェスティバル・デ・ヘレス”に海外から初参加を果たし、絶賛される。同年フラメンコの伝統や土着性に根ざした作品「ARTE Y SOLERA 歓喜」で文化庁芸術祭大賞を受賞。2006年、News week日本版の「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれるなど、国内外で高く認められ、今後の幅広い活躍が期待されている。
佐藤 浩希
Hiroki Satou

 高校時代よりボランティア活動に励み、保育士、介護福祉士の資格取得後、アントニオ・ガデスの「血の婚礼」とタブラオ「新宿ギターラ」で観た鍵田真由美の踊りに衝撃を受け、福祉の道からフラメンコの道へと進む。
 1992年より鍵田真由美にフラメンコを師事。1996年河上鈴子スペイン舞踊新人賞受賞。同年、日本フラメンコ協会新人公演で、卓越した演技に対し協会から史上初の特別奨励賞を授与される。1997年から渡西を重ね、以来数々の賞を受賞。2001年、阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲による「FLAMENCO曽根崎心中」を上演。文化庁芸術祭優秀賞、河上鈴子スペイン舞踊賞を受賞。同作品は2004年、ヘレスで行われたフェスティバル・デ・ヘレスに外国人として初めて正式参加を果たし、スペインの観客から熱狂的な支持を受ける。2004年、フラメンコの伝統や土着性に根ざした作品「ARTE Y SOLERA 歓喜」で文化庁芸術祭大賞を受賞。2006年、Newsweek日本版のトップ記事「世界が尊敬する日本人100人」に選出され、大きく取り上げられる。
 現在、スタジオ「ARTE Y SOLERA」を鍵田とともに主宰。優れたフラメンコ的感性と自由な精神で、フラメンコの新たな可能性を追求。すべての作品の演出・振付を手がけ、高く評価されている。近年、障害のある人たちとのフラメンコ公演や今井翼ソロ公演「World’s Wing翼 Premium」(2007, 2008)のフラメンコ・パート振付などでも活躍。現在最も注目を集める新進気鋭のフラメンコ舞踊家として活躍している。