(2017.7.14 update)
平多正於舞踊研究所を率いている平多実千子氏は、持ち前の明るさとエネルギーでいつも人を惹きつける。
今年70周年を迎えた研究所の記念公演を控えた忙しさの中、語ってくれたエピソードの数々をご紹介する。
Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi
支部生になったとたんに知ったダンスの楽しさ
先生はどのようなお子さんだったんですか?
5人きょうだいの末っ子です。昭和30年生まれなので覚えていますが、昭和36年ごろから泥道が舗装化され、東京オリンピックに向かって景気も良くなっていった時代でした。私自身はものに執着がないというか、ものを欲しがらない子供で、何食べたいのと聞かれても、なんでもいいと答えるような子でした。
そういうお子さんがダンスを始められたきっかけは?
私が通っていた幼稚園の園児さんの中に、町田の支部に通っていた方があり、相模原でも教えてくれないかということになりました。平多宏之先生が指導員で、私は昭和36年の開所と同時に入所、自分から手をあげたのか母が勧めたのか覚えていませんが、やってみたらおもしろくてすぐに発表会に出させていただきました。それがコマドリ芸術学園の15周年記念の年。縁があったのでしょうか、毎週1回のお稽古が楽しくて10年間ぐらいはお休みしたこともなかったんですよ。
もちろん児童舞踊を習っていらしたんですね。
はい、スキップやツーステップ、ギャロップをやったり。当時、正於先生はビクターで児童舞踊のためにたくさん作詞していたんですね。東京新聞の現代舞踊展でも発表させていただいた「踊らにゃそんそん」のなかで“チュウちゃんのお洗濯”のネズミ役と、もう1つ「餅花かざろう」という曲を、6歳の時に踊らせていただきました。宏之先生は各地の指導で忙しく、教える時は1から100まで出来上がっていて、立つ位置まで決まっていました。発表会前にならないと帰ってきてくださらないので、重たいSP盤を録音してくださるところがあって、私たちはそのレコードで練習しました。
私も小学生の時に、そういう曲をとり入れた学芸会でダンスの指導を受けた覚えがあります。
やはり舞踊曲になっているので踊りやすかったということでしょうね。今年は研究所70周年記念と正於先生の生誕100年でもあるので、正於先生が作詞した曲と、今の曲を踊ってもらいました。正於先生の曲は、前奏、一番、間奏、二番といった具合でわかりやすく、テンポもとりやすい。子供たちが踊りやすいのです。正於先生は文学青年で原稿400字だったら下書きなしでピタッと終わるし、つくることがお好きだったのでしょう。私はそういう曲で育てていただきました。
子供たちを教えるには
研究所の60周年の時に、ご高齢の房子先生がたいへんお若くて指導者としてのお話にとても熱と説得力がありました。
平多正於先生も房子先生も小学校の先生で、正於先生は学芸会をよくなさっていて、もっと勉強したいとNHKの放送センターで語りなどのお勉強もされ、教育舞踊家の島田豊先生に出会い、創作を江口隆哉先生のもとで学んで本格的に創作の世界に入っていきました。房子先生は体育の先生。2人の出会いは学校です。正於先生のお母さんが房子先生を見初めて、体格もいいしあの子にしよう、と。それで2人は結婚したそうです。
いつも感じますが舞踊家で指導者の先生方はいつまでもお若い。小さい子から大人までのお弟子さんと接しているからでしょう。でも教えるのはたいへんなことですね。
自分たちもそうやって育てていただいて、今は育てる立場になりました。三歳児ぐらいだと言葉がよくわからないところから始めますが、小学校2、3年生と一緒に踊る時、三歳に目が行くのです。もたついていますけど(笑)、初々しさというかその年にしかない素敵さがある。三歳で初舞台を踏んだ子が次の年にはもう違っている、ちゃんとやらなきゃというふうに。(笑)やはり小さいお子さんの場合は、この子たちでなきゃできない振りをこちらが探してあげる、5歳になればもう少しテクニックを入れて、7歳になれば足腰もしっかりしてきますし、さらにテクニックを加えれば活発な踊りになるというふうに年齢に応じたものができていく。そうすると子供たちも楽しんでできるのです。テクニックの向上と踊る楽しさは別のものなのです。
おっしゃるとおりですね、テクニックをものにした時の多少の達成感はあるかもしれませんが。
ピアノの発表会だったら間違ったらもとに戻って演奏することができますね、でも舞踊は音楽がかかっているからもとに戻ることができない、振りを飛ばしてでも次へ行かなきゃいけない。練習を一生懸命やってきたのにたとえば片足で立っていられない一瞬でくずれちゃう。こちらは祈るような気持です。なんとかがんばれえー(笑)。それがその子のトラウマになってしまわないようにと、指導の先生方は皆さん同じ気持じゃないでしょうか。
平多 実千子(MICHIKO HIRATA)
1983年/平多正於・房子の養女となる。 幼少より平多正於舞踊研究所に入所。 全国舞踊コンクール現代舞踊一部にて、第一位文部大臣奨励賞受賞。 1984年/文化庁在外芸術家研修員として一年間米国留学。 1987年第一回村松賞受賞。 1988年公演にて「鶴女」を発表、厚生省・中央児童福祉審議会特別推薦。 以降、都民フェスティバルに主演他舞台主演多数。 全国舞踊コンクール現代舞踊二部審査員を経て、現代舞踊ジュニア部審査員となる。 2002年、童心賞受賞。 現在に至る。 |
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