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(2017.7.14 update)

平多実千子 Garden vol.33

平多正於舞踊研究所を率いている平多実千子氏は、持ち前の明るさとエネルギーでいつも人を惹きつける。
今年70周年を迎えた研究所の記念公演を控えた忙しさの中、語ってくれたエピソードの数々をご紹介する。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi

 

「泣いた赤鬼」と「アンクル・トム」に衝撃を受けて

先生はいつ頃から踊りで行こうと決められたのですか?

「泣いた赤鬼」の初演が昭和40年。4年生で初めて本格的な公演を見させてもらって、こんな世界があるんだと衝撃を受けました。興奮して家に帰って、場面を思い出して踊ってみたり。翌年が「アンクル・トム」。芸術祭の賞をいただいた正於先生の作品です。ラストシーンで、白人の男の子ジョージが上手でアラベスクをスーッとして、亡くなるトムのところに駆け寄るんです。その時、ほんとに悲しくて涙が出ました。それが忘れられなくて、いつか大きくなったら自分もああいう舞台に立ちたいと思ったんです。でも当時は乗り換えが多くて研究所まで2時間近くかかりまして。(笑)。やっと高校生になって研究生として入会できました。


 

最初に出演なさった公演は?

「竜の子太郎」です。当時、坂本信子さんがトップダンサーで太郎の母親役、長野美子さんが太郎役で、村人の大群舞があってその1人で踊りました。お稽古の時からもううれしくて、うれしくて憧れの人と同じ板で踊れるなんて、こんな時が来るのかと本番になったら一秒でも長く舞台にいたくて踊っていたことを思い出しますね。(笑)
 私自身、お稽古は大好きな子供で稽古の虫でした。でも度胸がなくて気が小さくて、本舞台になるとドキドキして上がっちゃって全然思うように踊れない、ですからコンクールでもどうやって踊ったのか覚えてないぐらい。総稽古では振りをフッと忘れちゃって、二階へダダーッと上がってワッと泣いて、降りてきてまたやらせてください、と。先生方やコンクールに出ている皆さん、保護者の方がズラーッといらしてる前で緊張してしまって。そんなことが年中あって、ついには舞台の上で忘れちゃったりして。(笑)

平多先生ご夫妻はそういうひたむきな実千子先生をずっとごらんになっていらしたんですね。

なにしろお稽古は十二分というぐらいにやっておく。それでもいざというと舞いあがっちゃってなにしてるのかわからなくなって。もう震えるような感じで(笑)。今は審査員をさせて頂いて、踊っている子ども達の気持が読み取れる。大丈夫かなぁー(笑)、グラッとくるともう支えたくなっちゃう(笑)。

 

名作は何度見ても感動する

歴史と伝統ある平多正於舞踊研究所は、それだけ名作の数もあるので、それらを継承していくのは大変なことですね。

そうですね。台本の吉永淳一先生、美術の有賀二郎先生、音楽の山下毅雄先生、この3人の先生方と正於先生の気持が通じ合って作品がどんどん生まれました。有賀先生は初めの頃は子供の舞踊なんて関心がないということもあったらしいのですが、正於先生の舞踊に出会って変わったと文章にされています。1つの公演が終わるとすぐ来年はなにをやるかと会議を何度もしたそうです。先生の考えで台本もボツになったこともあったようですし、正於先生がやりたいとなった時にはスラスラと良いものができあがっていったみたいです。
 それらを再演する時、古い作品とは決して思えません。たとえば童話でも「スーホの白い馬」は何度読んでも感動します。2年前に「泣いた赤鬼」をやりましたが、初演から何十年たっていても子供たちは目を輝かせて見ている、客席の方たちも喜んでくださる。それは台本、美術、音楽、衣装、振付、構成のすべてが良いからなんですね。子供たちも、昔、私が感じたように、初めて見てこんな世界があったのかという子がいると思うんですね、そういう子が本格的に舞踊をやっていく存在になったらうれしいですね。

 

名作の再演の意義はそういうところにもありますね。先生はおいくつの時に養女に迎えられたんですか?

研究所の指導員になり、踊り手としても中心的存在になりつつ、主演等を頂くようになった頃、1983年に正於先生が舞踊芸術賞をいただきました。養女になったのはその頃です。受賞の記念に「エーデルワイスのうた」を上演することになり、大抜擢いただいて踊らせていただきました。稽古では、吉永先生からはすごくしごかれて毎日のように泣いていました。

 

厳しい方だったそうですね。

感情をどう表すか、スカートの動きひとつについても、もうちょっとゆっくり回るとスカートがきれいになるでしょう?!そういうところまで注意されました。お相手役は天上人のような江川明先生で、男性舞踊手の方と踊るのは初めてでした。江川先生は、舞台空間と客席という空間があって、自分が表現したことは客席の一番後ろの壁まで飛んでいってポンと自分に跳ね返ってくる、そういう踊りをしなくちゃいけないんだよと、さりげなく教えてくださった。その時は渋谷公会堂でしたから2500人のキャパ、ただ舞台の上でやっていればいいのではないと。それが心に残って、自分だけの経験にしないで研究所の人たちにも伝えていきたいです。照明の大庭三郎先生も、絶対この位置に入らなければいけません、僕たちはそのつもりで作っているんだよと。舞台が総合芸術であることを学びました。

 
 

dream

Q. 子供のころに思い描いていた夢
平多正於作品「泣いた赤鬼」のような本格的舞台に出演してみたい。
大勢のお客様の中で踊ってみたい。
でした。

Q.これからの夢
まだ踊りと出会っていない多くの人に、踊りを味わってもらいたい。
そして踊りの素晴らしさをしってもらい大好きになってもらいたい。