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(2020.1.27 update)

西川箕乃助 Garden vol.35

八面六臂の活躍を続ける西川箕乃助氏が語る多彩なキャリア。
それは私たちに励ましと元気、満ち足りた読後感をもたらしてくれる。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi

 

あれは10年以上前、劇的舞踊集団Kyuの立ち上げ公演から先生の舞台を拝見させていただき、洋舞の方々とご一緒に踊っていらしたお姿からは“どんな振付でも踊りは踊り”という先生の心意気が伝わって感じ入りました。日本舞踊家の箕乃助先生は、モダンダンスのラバン・センターでも学んでいらっしゃる。まずそのいきさつからお聞かせいただけますか。

日本舞踊は歌舞伎舞踊がベースになっています。歌舞伎は男性がやっているわけですが、明治以降、女性が踊れる新舞踊運動が始まりました。それまでは日本舞踊という言葉もなくて、踊りとか所作事とか言っていた。歌舞伎舞踊とは違った、女性が踊れる舞踊をと先駆者たちがずっと戦後を過ぎても続けているのですが、今でも結論は出ていません。父の扇藏の時代にはその活動がすごく盛んで、昭和30年から50年頃、日本舞踊のなかでも創作舞踊が沢山発表されました。たとえば日本舞踊には歌詞がありますが、歌詞のないものに振り付けて、抒情的な舞踊いわば現代舞踊に近いものが、具象的なものより抽象的なものが生まれました。


 

田中良先生という画家で歌舞伎の六代目菊五郎が踊った「保名」の舞台美術などをやっている方と、私の父たちが月に一回研究会をやっていました。それは父はじめお弟子さんたちが、舞踊家の目線をもたない評論家や研究者の方々にみていただきご意見や助言をいただく機会でもありました。そこで田中先生が「扇藏さん、この子を舞踊家にしたいんだったら花柳茂香先生のところに勉強にやるといいよ」と。私はちょうど大学に上がる頃、古典のベースがあって子どもの芸から大人の芸になる頃で、昭和40年代50年代に作品を沢山つくっていらした茂香先生に、八巻献吉先生がつないでくださった。
つくるとはどういうことなのか。日本舞踊の場合どうしても、あるボキャブラリーを順列組み合わせで替えたり、それのちょっとしたバリエーションであったりします。茂香先生の振付は単なる新しいもの好きではなく、ほんとに動きからつくったものでした。若い頃の私にはとても勉強になりましたが、なかなかそれが消化しきれず、古典をベースにした作品などを沢山踊らせていただきました。八巻先生のご紹介で西田堯先生のところへもうかがった。西田先生はモダンでもわりと日本的な作品をつくっていらして、基本的なレッスンを受けさせていただきました。


お父様は、日本舞踊の五大流派で一番古い西川流の十世宗家、西川扇藏先生。そのご子息としては珍しい経歴です。

親がこの日本舞踊の世界だけにいるとものの考え方が狭くなるから、ダンスとは関係なしに他の世界も見たほうがいい、と。それでロンドンへ留学しました。ロンドン大学では語学を学びながら本コースへ入った。すると、あなたダンスやってたのならロンドンにこういう学校があるからと勧められ、ラバン・センターに行ったんです。そこには、学校の先生はもちろん経験者からプロを目指す人、初級者までいろいろな人がいました。有名なラバノテーションの専門書も買わされ、全く覚えていないんだけれども(笑)、結局1年タイツをはいてやっていました。

 

それは本当に貴重なご経験で。

純粋に日本舞踊だけやってきた人とはちょっと違うかもしれません。平成元年に帰国しましたが、日本を外から俯瞰で見ざるを得なかった。日本の良さ、日本舞踊の良さも考える一方で、日本舞踊の環境のいやなところも見えたり、日本舞踊から離れるのかという不安も感じたり、いろいろな意味で勉強になりました。
日本の芸能は理屈じゃないところがあります。足の使い方、身体の使い方などモダンともバレエとも違います。西欧ではバレエは世界共通の言語ですが、日本舞踊の場合はバレエのように理論化してテキストにするということはなかなか難しい。許容量が広くて感覚的、個人の裁量が大きい。ところが現代人に対しては、特に大人に近くなってからは理屈から教えないとなかなか理解してくれない。でも父の時代には弟子や生徒は先生から言われるままにやって、なぜかなんて聞かなかったし先生も説明もしない。僕はそう教わったからそのように教えているだけ、長じてわかる、と父は言います。

 
西川箕乃助

西川 箕乃助(MINOSUKE NISHIKAWA)


1960年2月1日、日本舞踊西川流 十世宗家 西川扇藏の長男として東京都港区六本木に生まれる。

3歳で「かつを売り」で初舞台(東横ホール)。

早稲田大学高等学院を経て1984年早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業。

1987年から1989年までロンドンSOASにて語学研修、LABAN CENTERにてモダンダンス、舞踊理論など学ぶ。

1993年歌舞伎座に於ける西川会で五代目 西川箕乃助を襲名。
最も古い流派の一つである西川流の後継者として 西川流に伝わる古典作品の継承と父である十世宗家扇藏振付作品を上演している。
自身の振付作品も多数発表している。

2009年に同世代の日本舞踊家 花柳寿楽、花柳基、藤間蘭黄、山村友五郎と共に五耀會を結成し、 舞台芸術としての日本舞踊を標榜し活動している日本舞踊家としての活動の他、 NHK大河ドラマの所作指導として2001年以来、多くの作品に携わっている。

宝塚歌劇団、OSK日本歌劇団にも振付として参加。

2018年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。