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カバーストーリー

ダンスの世界で活躍するアーティスト達のフォト&インタビュー「Garden」をお届けします。

HOMEカバーストーリー > カバーストーリー 鍵田真由美×佐藤浩希 02
高校出て福祉の学校へいらした。そしてそれから鍵田真由美という、やがて師になる人の素晴らしい舞台に出会ったんですね。
佐藤「はい。ガデスのビデオを貸してくれた友達が、新宿にあったギターラっていうフラメンコのショーを見せる店に初めて連れていってくれたんです。どの人が鍵田さんかわからないで見ていたら、一人すごい目立つ人がいて。ちょうどその日の朝、夜勤のアルバイトをしていた老人ホームで一人お亡くなりになった。
その方の手を握っていたら、温かかったのがサーッと冷たくなって。なんかこう…、間近に死と接して、そのあとに踊りを見て、今、命があって体が動くことの素晴らしさってものがダイレクトにきてしまった。絶対この人に習いたいって。それでショウが終わったあとに、頼みに行ったんです。」


鍵田「私はその頃、クラスを一つスタジオで始めたくらいで、時間も自由がきくという状況で。彼は今までに踊ったことがないとか、そんな恐れも持たずに明日からレッスンしたいからクラス作ってくださいって(笑)。」

そういう生徒はなかなかいません(笑)。鍵田さんは日本女子体育短大舞踊科で勉強なさった。子どもの頃から踊りは身近なものでしたか。
鍵田「両親は踊りをやっていたわけではないんですが、とにかく私は踊りが好きで、環境に恵まれていつも踊っていました。」

まるで正反対なお二人ですが、誕生日が同じなんですね。
鍵田・佐藤「そうです。私たちも驚きました。」

やっぱりご縁がおありなんです。鍵田さんがフラメンコを踊ったきっかけは?
鍵田「日本女子体育短大で佐藤桂子先生の授業が初めてでした。フラメンコが足を鳴らしてドンドンドンていうのはわかっていたけれどその時、それまで習ったものと違っていてびっくり。ただ、そのあと私がフラメンコに行くっていう決心も予感もなかった。結局は桂子先生の舞台に出させていただいて、いつのまにか道ができていて。現代舞踊協会の公演で新人賞をいただいてうれしいっていうだけで、きっかけが自分ではつくれず…。それでスペインに行かなければいけないということを自分に課して。そこからですね、いろいろ始まったのは。」」

佐藤さんを教えていらした時に、この人はいけるぞとすぐに感じましたか。
鍵田「まず踊る素質は特別なかった。たいへんなガニ股で(笑)、踊りに親しんだ基本がないですから。ただそれを恥ずかしがらずにさらけだして、へたでしょ、だけどこうやりたい。その潔さは一番で、それ以上にフラメンコとはということにとらわれずに、この音楽を使ってみたらどうだろうか、なぜこういうふうにしちゃいけないんですかって。それは後にも先にも佐藤だけですね。」


佐藤「僕は60年70年代のロックのマニアなんですが始めて1年めぐらいの時、キング・クリムゾンで振付してくださいなんて頼んだりして(笑)。」
鍵田「桂子先生、山崎泰先生のもとで大きい作品を踊らせていただいた時、声を出したり演技もしたので私は怖いものがなかった。それと同じような角度からきたものだと思うからそういう発想はおもしろいって、彼に共感できるものがたくさんありました。」
佐藤「最初は週に1回のレッスンが2回、3回になり、ついに寝袋を持ち込んで(笑)。」

そんな様子をごらんになってお母様はご心配なさらなかったんですか?
佐藤「泣かれました。僕、一度この福祉の仕事をやめてフラメンコだけに専念したい、まだ練習生の頃ですが、今この年齢でスタートしないとって言うと、何考えているの、フラメンコで食べていくなんてありえないでしょって。もちろん今は喜んで見てくれますが。」

インタビュー、文
林 愛子
Aiko Hayashi
舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、'80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
フォトグラファー
川島浩之
Hiroyuki Kawashima
ステージフォトグラファー 東京都出身。海外旅行会社勤務の後、舞台写真の道を志す。(株)ビデオ、(株)エー・アイを経て現在フリー。学生時代に出会ったフラメンコに魅了され現在も追い続けている。写真展「FLAMENCO曽根崎心中~聖地に捧げる」(アエラに特集記事)他。