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カバーストーリー

ダンスの世界で活躍するアーティスト達のフォト&インタビュー「Garden」をお届けします。

HOMEカバーストーリー > カバーストーリー 鍵田真由美×佐藤浩希 04
年配者の生徒さんが多いそうですが。
佐藤「そのミセス・クラスが一番楽しい。生の強さっていうのは若い子よりも年齢をより多く重ねた方のほうがありますね。自分の体が続く限りとか、切実さがあるからでしょう。たとえば手を上げる時、バレエのように美しく踊ることも必要なんですが、フラメンコのダイナミズムっていうのはそれだけではなく、その人のできること、せいいっぱいやるなかから出てくるところにあるんだと思います。」
鍵田「特にフラメンコの場合は、その人が何を考えているかまで、にじみ出てくる。ふだんおとなしくてもスカートを持ってワッと足を踏みならすだけで、実際に弱い存在にはない力強さを持っているのをその人自身が感じとることがよくあるし、逆にいつも強そうにしている人が少し気弱だったってことが出る場合もある。フラメンコは、自分で自分がどういう人間なのかをわからせてくれるようなダンスじゃないかと思うんです。
足がちょっと短くても、太っていても、コンプレックスが多ければ多いほど、フラメンコをとおして自分を発揮できるんですね、それがどうした、それで何が悪いって。自分を勇気づけられる。」

鍵田さんは登場した時に、技術も表現も完璧でその上美しくて話題になりましたね。
鍵田「わぁ、うれしい、でも佐藤が私のパートナーになっていなかったら、もしかしたらもっと堅苦しくフラメンコの道を歩んでいたかもしれません。息をフッと抜けるようなところに良さがあることを忘れてきていたところに、佐藤から、ここで溜め息ついてもいい、大笑いしてもいいんだよ、体を動かすということは特別な人が特別にやる事じゃないんだよということを教わったような気がします。」

今後はどんな作品づくりをしていきたいというヴィジョンをお持ちですか?
鍵田「今までは二人で歩んできて、これからも二人でパートナーとして一つの作品を作っていくことに変わりはないんですけど、これだけ個性が違うので、ここで改めてそれぞれの個性が伸びるような、一人ずつの活動っていうのもあっていいんじゃないかと私たちは思っているんですね。」
佐藤「二人で一緒の時、それぞれの違う世界が繰り広げられるように、また個々の技術を磨いていかなければいけないなって。それをこれからさらに作品に投影していきたいと思っています。」


鍵田さんの思い出の品


 
最後に鍵田さんの夢についてお聞かせください
Q,
あなたが子供の頃に思い描いていた「夢」はなんでしたか?
保育士・バレエの先生
・子供が以前から好きでした。バレエの先生イコールダンサーだとも思っていました。
俳優
・"何かになりきる""表現すること"が大好きでした。

Q,
あなたのこれからの「夢」は何ですか?
・フラメンコの魅力、身体を動かすことや表現することの素晴らしさを1人でも多くの人に伝えていきたい。
・踊りぬく

このぼろぼろの練習着は、スペインに行く前にずっと着ていたもの、帰ってきてからのものです。縫っては直して着ていたんですけど、恥ずかしいというところまで着古してしまいました。思い出があるので捨てらず、今でも衣裳部屋で一番の主役です。私は、こんなにつらいのを頑張ったという思いもなく、これを着て頑張ってどうなるっていうことも予想もせず、スムースに流れてきて、ただただ好きで踊っていたということでしかありませんでした。スペインに行った時、日本に帰ったらこの世界でやっていかなきゃいけないという覚悟を初めて決めたんですね。淋しかったし、これからどうなるんだろうと怖かった。救いだったのは佐藤桂子先生、山崎泰先生のところで勉強してきた技術がスペインで、なにも恥ずかしくなかったこと。古着はそんな時期の私を思い出させてくれるんです。

佐藤さんの思い出の品


 
最後に佐藤さんの夢についてお聞かせください
Q,
あなたが子供の頃に思い描いていた「夢」はなんでしたか?
保育士かコックさんになりたかったです。

Q,
あなたのこれからの「夢」は何ですか?
観に来てくれたお客様に明日を生きる「夢と希望」を持って帰ってもらえるような舞台をつくり続けたいです。

ロックが大好きな僕にとって、ジョン・レノンの「イマジン」はベストワンのCD。自分がどういう仕事につきたいのか、そこに導いてくれたのがこの曲だからです。ここでレノンは、「平和を、宗教も国境もない世界を想像して見ようよ」ってやさしく語りかけてくれています。たいした力はないんですけど、そういう感じで福祉の仕事を選んで、いまだにそれを僕も目標にしているのは、彼が自分のアーティストとしての仕事をこういう歌に託して、平和の思い、人間愛を芸術として表しているからでしょうね。僕も彼のようにそういう仕事をいつかはしたいなと思っています。彼はこの世にいないけど、僕のなかでは音楽的なものを超えてしまって、インスピレーションを与えてくれるんです。