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カバーストーリー

ダンスの世界で活躍するアーティスト達のフォト&インタビュー「Garden」をお届けします。

HOMEカバーストーリー > カバーストーリー 小山久美 03
1965年の創立ですからすでに40年以上の歴史があります。多くのレパートリーを踊り継いでいくこと自体たいへんなことで。
小山 そう思います。だからそれは素直にそのまま受け継いで、代わったから何か新しいことをしよう、というのはやめよう、と。ただ、ごく自然に自分のなかで二つの流れが見えてきました。一つは子供たちに芸術としてのバレエができることをなるべく伝えていきたい。文化庁の”本物の舞台芸術体験事業”や東京都の”子供たちと芸術家の出会う街”への参加というチャンスをいただいて、それをやりがいをもってこなしていくうちに結論になったことなんですけど、誰でもが楽しめる作品、誰でもが劇場に足を運べる作品を開拓したいと思って作ったのが「シンデレラ」だったんですよ。それがおかげさまでわりといい評判をいただいて。
 
 
音楽をとおして子供たちを育もうというエデュケーショナル・プログラムが世界的に確立されつつあるんですが、バレエでも何かできるんじゃないかと思うんです。すでにバーミンガムではバーミンガム・ロイヤル・バレエのデヴィッド・ビントレーが、ストリート・チルドレンを抱え込んでバレエを教えるという試みをした、と聞きました。太刀川も最後はチャリティだと、自分たちは貧乏だけど社会に還元できたらなにより幸福だと言っていました。実はスターダンサーズが'65年にできて初期の頃に手がけたのが”母と子のバレエ劇場”で、それが私が5歳の時の初舞台なんです。
 
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その時は何を踊ったんですか?
小山 曲も台本もオリジナルで、最初は「みなしごたちの贈り物」、次が「私のピーターパン」。今もピーターパンは台本が残っているんですけど、早川恵美子さん、博子さん、新井咲子さんがスタジオの子供たちと出ていらして。物語の途中で歌が入って、私は猫の役とかたつむりの役でした。実はそれが根っこにあるので私の今後の展望になると思います。もう一つは、太刀川が考えていたように日本人の振付家による作品を作りたい、と。

 

チューダー作品をやったのは、日本の振付家たちを育てるためであったし、こういう作品から学んで欲しい、と。ピーター・ライト版「ジゼル」をやったのも、いい作品をお見せすることで、日本の振付家たちを鼓舞したい、刺激を与えたいという伯母の思いがありました。この二つを、今後は柱にしてやっていけたらと思っているところです。

 
「シンデレラ」は、ほんとうに子供たちがバレエを身近に感じるきっかけになる作品ですね。
小山 ”本物の舞台芸術体験事業”で焦点にしているのはコミュニケーション力なんです。今は子供たちのコミュニケーション能力の欠如が問題になっています。この前、バレエ議連という議員さんたちの集まりでもお話しさせていただいたんですが、言葉を使うことだけがコミュニケーションじゃなくて、言葉を使わなくても伝えなくちゃいけないことがある、と。そういう能力がなくなっているから空気が読めないとか、メールに依存してしまうのではないか。

 
バレエは言葉を使わないからこそコミュニケーションとは何かをわかってもらえます。自分のことだけをわかってもらおうとするのでなく、相手のことをわかろうとすることもコミュニケーションですね。バレエの身体表現をとおして、自分がやろうとすることを相手に経験してもらったり、お友達がやろうとしていることをわかろうとする。理屈がわからなくてもそういう経験をしたことでなにか残るんじゃないかって。今、私はそれに興味があり、意義も感じて今後やっていこうと思っているんですね。

 
ご自身は、これから舞台に立つご予定はないんですか?
小山 もう出るつもりはないです。
もったいない。
小山 優柔不断なもので、なかなかこれを最後にしようと決心できなかったんです。何年かたった時に、ああ、あれが最後だったと思えればいいかな、と。で、ようやっと今振り返ってみて、あの「火の柱」を踊った時が最後だなと思うようになりました。

ずっとバレエ団を引っ張っていらした方の、一つのあり方ですね。
小山 私はそれを自分の理想としていたので。まあ、それぞれですね、環境もそれぞれなように。でも練習するのは好きなので、あとは身体をキープしておこうと思って。気がつくと、これまでバレエにとことん向き合うことで、学んできたことがすごく多いんです。学ばせてもらってよかったと心の底から思います。だからこれからはそれを若い人たちに渡していきたいですね。

 
 
小山さんのこだわりの品
アメリカの師メリッサ・ヘイドンのスカーフも大切な思い出の品ですが、全然関係のないことでいいますと、実はぬかみそが大好きなんです。ぬかみそのあの匂いが子供の時から好きで、家のぬか床は子供の時からいつもかきまぜていました。近所の公園で遊ぶのは砂場で、そこで家でやっているのを真似てぬか床を作り、漬け物のかわりに石を埋めて、明くる日にその石をとりにいくなんて遊び(?)をしていたんです。もちろん今は家でぬかみそを作って、にんじんや大根などいろいろな野菜を漬けています。子供たちもぬか漬けが大好き。私は匂いだけでなく、かきまぜたあとの感じが好きなんです。
もう一つは18歳で初めての主役を踊った時の写真です。この写真を毎日新聞に載せてくださって、初めて名指しで私の記事が出たのがものすごくうれしくて特別な思いで読みました。記事を載せてくださった高柳守雄さんが、ごていねいにお手紙で、新しい人が現れたと書いてくださり、両親へのプレゼントにもなりました。
最後に小山さんの夢についてお聞かせください
Q,
あなたが子供の頃に思い描いていた「夢」はなんでしたか?
 
バレリーナかピアニストと思っていたような記憶があります。
バレエとピアノを習っていたので、単純にあこがれていたのだと思います。
Q,
あなたのこれからの「夢」はなんですか?
 
バレエ団を取りまく環境が変わり、今は目前のことに追われるばかりで、情けないことに将来のことを考える余裕がないほどです。
でも、伯母(太刀川瑠璃子)からバレエ団を引き継ぐと同時に夢も引き継いだと思っています。
それは、ダンサーという仕事が、本当の意味で確立すること。
そして、バレエ団や上演内容だけでなく、観客も育っていくような社会環境を整えることです。