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カバーストーリー

ダンスの世界で活躍するアーティスト達のフォト&インタビュー「Garden」をお届けします。

HOMEカバーストーリー > 麿赤兒 03
     
何十年も若い人と一緒にいらして、若い人の身体や意識が変わったというようなことをお感じになりますか。
うーん、それほどは感じないですね。どっちにしても社会に出て企業などの組織で働くことが苦手という意味では、どこかかたわですよ。じゃ、なにが正常かっていうとわからないですよね。表現というのは余剰部分で、ただ、その余剰部分が全部、余剰になっちゃって(笑)、こっちがよくわからなくなっちゃっう(笑)ことはある。
     
あえていうと、若い人はちょっと考えすぎ、頭が先行する。理解するという意味が、全部インターネットで調べればわかるというふうだったり。簡単にいえば頭でっかちというのは多い。つま先に脳があるぞと言ったって、「ええっ、つま先に脳がある?」って(笑)。どんな踊りでもそれなりのメソッド、それなりの拘束というのがあって、その枷でぶつかってみて、身体が目覚めるということはありますよね。意味より先に先行している動きというのがあるけれど、彼らはその意味を考えようとする。それも大事なことなんですけど、特にフランスあたりの身体論の功罪ですね。身体論における身体の在り方とは?って(笑)。あるんだよ、身体はあるんだよ。そこに論つけてどうする。でも身体論の臨床例としてあるべきだって(笑)。臨床例?あいつらはそれを見て分析して考えればいいんだよ、俺たちはやっちまえばいいんだよ、って(笑)。踊りは知から入りすぎると衰弱に陥る。もっともっと多様だよ、ということなんですけどね。
     
その多様性こそが舞踏の魅力ですね。
そうですね、下手を含めてね。だから一番下手な人をスターにすることはあります(笑)。この人みたいにしてみましょう、と。すると、そこにはそれなりに二十歳ぐらいで頭だけが成長しすぎの凝縮されたおかしさっていうのがあるんですね。唐十郎的にいうと、特権的肉体、負性ですよ。マイナス的な意味も含めて。それをパックすればおもしろい踊りっていうことはありますね。
大駱駝艦も若手がいっぱい育っていますが、アドバイスはどのようになさるんですか。
おやじ秘伝のタレみたいな、塩かけたり、醤油かけたりみたいことはやってますけどね、味もどんどん変わっていくでしょう。我が家伝来のタレ違いのものもある。決して百年続いたタレがうまいとは限らない、臭い場合もあるし(笑)。そのへんのところはよく見ていないとね。決して僕の塩梅が正しいとは限らないわけですから。正しいものなんてないんですよね。うちから出ていったら、発酵の仕方を知っているだろうし、漬け物作るにしても重しのかけかたの違いがあるように、それぞれのぬか床というのがあって、それぞれの味が出ていますよね。
     
広くて狭いという、踊りでこういう世界はなかなかありません。大駱駝艦は海外公演でもとても人気が高いですね。
部族だって。ヨーロッパあたり行くと、そういう目玉で見る人もいますよ。部族の生態を見てみようと。アフリカあたりで民族的儀式をしているのを見たいのと同じじゃありませんか。
     
大駱駝艦の中ではどのように過ごしていらしゃるんのですか。
父親じゃねえ、と逃げていますよ。かんべんしてくれ、と。あとはこの指とまれですから。それが原点なんですよ。僕は下校拒否症だったんですね。親がいるやつは家に帰っちゃう。僕は学校でね、遊ぼう遊ぼうって、ずっと遊んでいたいんだよね、それをごまかして遊びを見つけてね(笑)。
     
今もその延長ですね。
そう(笑)。あとは付加価値でね、顔の皺で先生って言わせたり、先生やめろ、とか。今度は老人遊びとかね、ちょっと距離をもってね、俺の真似をしてみろ、とかね。遊んでるんです。
   
麿さんのこだわりの品
「ムー」と名付けた私の愛する鉄の彫刻は私の創造力をかきたててくれる。
ちなみに「ムー」はムー大陸からその名を付けた。この彫刻の作者は藤井健仁。
最後に麿さんの夢についてお聞かせください
Q,あなたが子供の頃に思い描いていた「夢」はなんでしたか?
『小学校5年生頃までは、その日その日をどのようにして遊ぶかを考え、その遊びに充足していた。以後常に厭世的気分を持ちつつ、遠くへと思い始める。
Q,あなたのこれからの「夢」は何ですか?
遊びの世界(をどり)にひたっていて、既に「夢」か「現」かわからない。
つまり「夢中」である。