D×D

舞台撮影・映像制作を手がける株式会社ビデオが運営するダンス専門サイト

 
HOMEカバーストーリー > vol.26 森山開次

(2014.2.25 update)

森山開次 Garden vol.26

森山開次の舞台は、強い引力で私たちを虜にする。それはいつも新鮮、なのにどこかなつかしい。強靱でしなやかな身体があらわした苦悩や悲哀がやがて希望や喜びに転化されていく時、知らず私たちの心も浄化されていく。今回は、そんな彼の舞台裏について聞いた。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi
Photo : 川島 浩之 Hiroyuki Kawashima
協力 : アーキタンツ

 

阿修羅像の魅力

ところで、有名な興福寺の阿修羅像がありますね。人々がこの像に惹かれるのは、少年でも少女でもあり、大人でもあり子供でもあり、そのいずれでもない、この世の者のようであり、超越した神でもあるというミステリアスな存在感を放っているからだと思いますが、森山さんの舞台からはそれを連想します。

多田富雄先生がたまたまお能のつながりで見に来てくださった。「弱法師」をやる前ですが、僕の公演を見て、「伝」という能の雑誌に詩を書いてくださったんですね。それから何度か見にいらしてくださって、次はこのテーマで踊りなさいといろんな課題をいただいた。実はまだ達成できていないテーマもあります。僕にとって能との出会いはとても大きくて、その阿修羅っていうのも多田先生がおっしゃった。

多田先生は免疫学者でお能にも深く通じておられる方。先生はすでに感じていらしたんですね。私は森山さんの舞台を見て、生身でこういう人がいるんだと驚きました。

ありがとうございます。自分でもあの阿修羅の姿を見ているとシンクロできる部分もありました。自分の表情のなかにも、何かを守るものであったり何かを責めているような目であったり、何かを憂いているような目であったり。そこにはひとことでは言い表せないいろんな思いがあるんだなと。


 

新しい発見

一方、あのNHK教育テレビの「からだであそぼ」では、子供さんと戯れるという感じでしたね。あれはまた違う森山さんだったと思いますが。

まさか自分が子供のために踊るなんて思ってもいませんでした。ちょうど自分に子供ができたときに、子供に対してのテーマをいただいて、コスチューム・アーティストのひびのこづえさんやいろんな方に出会って、それまで自分が出せていなかったものを引き出してもらうことができました。でも思い返してみれば、あれは僕自身です。僕そのものかもしれない。コミカルに演じたりすることも、実は僕もそういう面があることを思い出させてくれました。

森山さんの舞台で、もう1つ強烈に印象に残ったのは、“獣みたいな、鳥みたいな、天使みたいななにか”という「スケリグ」でした。

僕もあの作品はすごく思い出深いものですね。ダンスをしながら台詞を喋るという機会もいただいた。ミュージカルを目指している時にまず自分の声と向き合って、声で表現したいという思いも小さい時からあったものですから。

お聞きしていて心地よくなる、とてもいいお声ですものね。

昔から叫びたいという願望もあったんです。手をあげて意見を言えない子供で(笑)、人前で意見を言いたいと思っても言葉が見つからなかったり、見つかってもしゃべれなかったり。演劇に入って大きく声を出す機会をもらって、発声練習ってなんて気持ちいいんだろう、歌いたい、しゃべりたいという思いが強かったです。
ただミュージカルでは決められた台詞を滑舌よく喋らなければいけないとかいろんな制約もあって台詞もすぐもらえません。もらえても「いらっしゃいませ」みたいな、ウェイターのバイトでさんざん言っていたもので(笑)。童顔で低い声だったから、その声は合わない、もし歌で主役をやりたいのならもっとハイ・トーンが出ないとダメだと。踊りのほうに行ったのはある意味、言葉から逃げた部分もあったんです。踊りのほうが言葉をしゃべらなくても伝えられますし。

 

筋肉やプロポーションといった身体的条件にも恵まれていらっしゃるし。

森山 親からもらったんですが、手を伸ばせば、なんか人よりは長いなぁという…。決して足は長くはないけれど、少しずつ踊っていく中で発見をしてのめりこんでいったのも事実です。でも言葉から逃げたのも事実かもしれない。

スケリグには新たな発見もあったんですね。

自分でイメージしたスケリグというキャラクターの声をそのまま出せばいい、と。声を出すことも実は踊っている時とすごく感覚が近くて、スケリグの身体がリウマチという設定でしたから、少年に向かって「何が望みだ」って身体をこわばらせながら僕がしゃべる。その言葉がいつもまとわりつくように自分に向かってしゃべっているようでもあった。「何を望んでいるんだ」って。   その時、考えました。たまたま母がリウマチ系の膠原病だったこともあって、身体って重たいな、でもスケリグは軽く跳ばなきゃいけない。きっと技術だけじゃなくて、ゆがんだ身体であっても表現できることがある、その年齢によってできることがある、と。

人を立てつつ引いて目立つ

ご自分を外に開放して遊んだり、深く、深く集中していったり、「曼荼羅の宇宙」のように、大気や空気に溶けこんで舞ったり。森山さんはほんとうに自在ですね。

それは表現のいろんな機会をいただいていろんな人に出会うからだと思うんです。自分が次男坊で家の中でもバランスをとって仲介役みたいに、母の声を聞き、父の声を聞き、兄の声を聞いて。友達同士でも同じです。それと僕のカラーかもしれませんが、なんとなく自分がいつも透明でいよう、と。もちろん自分の感情をコントロールできなくて怒ったりすることも時々ありますけど、自分を遠くからみているみたいな感覚もあります。
ソロダンスの発表をしながらいろんな作品に出てきましたけど、ジャズダンスでもなんでも自分をそれに染めていくみたいなことが好きだし、おもしろい。今度はこういう自分にしてみよう、と。人を立てつつ引いて目立とう、というのが好きなのかもしれませんね。

だからいつもコラボレーションが成功しているんですね。

津村先生は僕の目標なんですが、タブーかもしれないことまで挑戦してくださって。僕は怖れも知らず、じゃ先生、上半身脱いでいただけますか(笑)、先生倒れてください。先生は「能にはないんだけどね」とおっしゃりながら受けてくださる。津村先生の師匠である津村紀三子先生も開拓精神とかチャレンジする精神がおありだった。だから、先生もそれを受け継いでいらっしゃるんだなと思って。

津村先生とのコラボは拝見していていつもほんとにおもしろいですね。振り返って二十代の頃は、踊りつつ発見という感じでしたか。

そうやって旅をしてきたという感じですかね。時々戻る時もありますし、止まっちゃう時もありますけど、踊り始めてまだ18年、19年。僕、昨日で四十になったので、まだ四十歳かぁ!って感慨深く思っていました。それまで賞について考えたこともありませんでしたけど、昨年いろいろな賞をいただいて、多くの方が見ていてくださったんだな、と気づき、深く感謝しました。

 
 

dream

Q. あなたが子供の頃に思い描いていた『夢』は何でしたか?
小学生高学年頃は、オリンピックの体操選手になることを夢見ました。
中学生の頃は、歌手になりたいとも思ったこともあります。

Q. あなたのこれからの『夢』は何ですか?
ずっと踊り続けてゆくことかな。

favorite

思い出の品

“こだわりの品”
これはもともと母が作ってくれたものを真似して妻が作ってくれました。僕が小学校の時、社会見学で鎌倉に行き、リングの中にガラスがはめてあって透かして見ると仏様が入っているというものを買いました。そのガラスの部分をなくしてしまい、母が「なんだかバチが当たりそうね」と、リングだけとっておいてくれて、そこに古ぎれを使って3つの玉をつけてくれたんです。実は、海外に行った時、僕はそれをはずして飛行機の中に置いてきてしまいました。母が亡くなったあとでしょうか、僕が悔やんでしょげていたら、妻が作ってくれたんです。
 僕は亡き故人の思いをもって生きていくことを大事にしなければと思っています。それが死者を蘇らせる一つのやり方でもあるか、と。伝統芸能に生きていないので憧れもあり、1人で自由だからあえて伝統芸能からモチーフを引っ張ってくるのかもしれません。この円のリングに対しても思いが強くて、能舞台は四角ですが、円のリングから発想して「HAGOROMO」でも使いました。