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(2014.7.15 update)

鈴木稔 Garden vol.27

親しみやすい物語バレエからエッジのきいたコンテンポラリーまで、鈴木稔氏の作品づくりは驚くほど幅広い。スター・ダンサーズバレエ団のバレエ・マスターとして若手の育成にも力を注ぐ鈴木氏のスタートはまずダンサーだった。その例にもれず素顔は少年のように若く、感性にあふれる語り口はみずみずしく快活だ。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi

 

正式にバレエを始めたのは18歳

もともとはお母様がバレリーナで、お父様も舞台の制作関係で、舞台芸術の雰囲気があふれた環境で育ったんですね。

あふれていたけど、ある時期までイヤで拒否をしていて。甘ったれで母をバレエにとられちゃうという、情けない一人息子でした。父親については寝顔しか見たことがない、朝は寝てる、夜中しか帰ってこない、と。屈折しますよね(笑)。

レッスンはいつから始めたんですか?

ちゃんと始めたのは18歳です。あまりにもバレエが身近すぎたんですね。物心つくまでは踊っていましたが、でも聞かれるとマイナス7ヶ月からやっていたって答えていました。(笑)

お母様のお腹の中の頃から。(笑)

母が妊娠3ヶ月で、あなた、今踊ったら流産しちゃう、だめでもいいならやりなさいと言われて舞台に出ていた。あやうく殺されるところでした(笑)。

結局それは踊る運命にあったということで。

4歳ぐらいまではわからないからやっていると、幼稚園で、なんだ、男なのにバレエなんかやって、となるじゃないですか。だからレッスンはやめちゃった。でもいやだろうがなんだろうが公演は見せられまた。祖母に手を引かれて、「3幕になると黒い衣装着てママ出てくるからあんた見ていなさい」と。また黒鳥かー。ジゼルの一幕なんかは上野の文化会館のらせん階段のところで待っている。「2幕になるとママは白いの着て出て来るから、」。ミルタかよーまた見るの?そういう時期が小学校低学年まであって。(笑)それからもことあるごとにバレエ公演は見させられました。おかげさまで子供なのに目だけはこえちゃいましたね。(笑)


 

今は、男の子が踊るのを新聞もテレビも紹介してくれますね。

バレエだけじゃなく、80年代後半からはマイケル・ジャクソンみたいな存在も大きかった。かっこ良く踊るっていうところを示してくれましたから。

それ以前は男の子が踊ることに抵抗を持つ人がけっこういましたものね。18歳でバレエをやろうと思ったのは、踊りの良さを見いだしたということですか?

単純に何をやっていいかわからなかったんですね。それで、さあ高校が終わる、なんか働かなきゃいけないんだろうなと漠然と思っていて、で、はじめは裏方なんです。おやじの仕事のほうがおもしろくなっちゃった。

それも貴重な経験ですね。

そうして、バレエをいざやり始めると簡単にはいかなくて。母からはほとんど習ったことはなくて、どうせあんたは私の言うことはきかないだろうしスタジオを継ぐわけないし、ダメでもともとなんだから、と。最初に行ったのが小林紀子先生のところだったので、アカデミックなことは厳しく教えていただいた。スタートは遅かったけれど、小林先生に感謝しています。服部智恵子先生もご尊命で何回か教えていただいたんですけど、当時、先生の言葉が抽象的でわからなかった。でも覚えているんですよね、跳ぶときには床を上げるんだ、とか。服部先生が「バレエ花伝書」をお書きになっていますが、それが今、自分にもとても役立っているんです。


 
 

舞台は自分が楽しまなければできない

海外にも行ってらっしゃいますね。

ニューヨークのチェンバー・バレエ団とコロラド・バレエ。小林先生にはロイヤルスタイルで教えていただいたけど、どうも踊りたいと感じたのはそっちのほうで、不義理をして飛び出して行きました。3日でしっぽ巻いて帰ってくるか、3年もつかといわれて、3年になった。それは大きな体験でした。

行きたいと思われた一番の理由は何ですか。

僕の頃は同い年でバレエやっている男子は、坂本登喜彦とか樫野隆幸とか5人しかいなかった。いいことも一杯あって、谷先生とか友井先生、松山先生という大先生の方々に可愛がっていただきました。でもそこから逃げたくなったんです。たいしてうまくないのに期待値だけは大きくなるし、ハッタリだけで舞台に立ってましたし(笑)。自分の実力はどれぐらいなんだろう、まったく僕の舞台を見たことがない人たちの前で踊るとどう評価されるんだろうという思いがありました。

アメリカでの経験で、今、ご自分で生かしていることはありますか?

一番はやっぱりプロとしてやるっていうことですかね。僕のこと何も知らないお客さんにストレートに喜んでもらえることがありながら、最初は自分が日本人だからストイックにやっていた。でも、君を見ているほうが緊張してしまうからやめてくれ、それじゃつまんないって言われて(笑)。もちろん舞台は自分が楽しまなければできないんですが、僕はシンフォニー踊るにはまじめにやらなければと思うわけです。一方でバレエはパフォーミングアーツだから、今日のショウは何時からって言い方をする。それでああ、ショウなんだ。それを芸術として感じる人もいれば、エンターテイメントとして感じる人もいるということで舞台は成り立っているんだな、と。自分が楽しむと言っても手を抜いてヘラヘラするということではなくて、楽しんでもらう立場の人が楽しそうでなければ、見る人たちは楽しめないということでしょうか。

 

favorite

思い出の品

思い出の品

バイクはバレエを始める前から乗っています。気に入った6台はBMが3台、あとはホンダとベスパですが、僕の場合、コレクションではなく全部に乗っているんです。実は子どもの頃からレーサーになりたいという夢を抱いたほどのバイク好きで、バイクの魅力は一人になるということ、走っていないと倒れてしまうこと。この哲学的なことはあとから認識したことですが。現代バレエでいうとたとえばベジャール作品で、なぜここにロックミュージックが入ってくるか。なぜなら人間の記憶は飛ぶから。それをモザイクのようにステンドグラスのようにつなげていく。その対極にあって1番遠い世界がバイクなんです。手を放せば、無茶すれば死ぬよ、というところが。バイクに乗っていると独特の空気感があります。風がなんとなく雨の味がするとか、もう夏になったなとか、冬になったなとか、その季節より前に感じられる。皮膚感覚でいえばバレエと変わらないんですね。稽古場にも乗って通っています。

 

dream

Q. 子供の頃に思い描いていた『夢』は何でしたか?
お医者様になりたかった。
幼い頃はとても病弱で、小学校を卒業するまで毎年延べ1ヶ月ほどは病院生活でした。
毎日毎日、痛~い注射をされていたので、いつか痛い目にあわす側になってやる!と思っていました。
(これは夢じゃなく願望的な妄想ですね…)

Q. あなたのこれからの『夢』は何ですか?
バレエに携わるものとしては、バレエの魅力、バレエの持っている力をもっと多くの人々に知ってもらいたい。
私の作品を見た人がバレエを好きになってくれること。
個人的には世界中の道路が続いているところ全てをバイクで走破したい。