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(2016.10.14 update)

中村祥子 Garden vol.27

さわやかでオープンな性格、前向きな思考で世界的プリマの道を歩んできた中村祥子。
彼女の話は華やかな舞台と同じように私たちを惹きつける。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi

 

バレエの魅力を初めて感じた瞬間

共通の舞踊言語があるとはいえ、ドイツ語圏でコミュニケーションの苦労はありましたか?

まずシュツットガルトの学校時代はみんながしゃべれなかったんですよ、インターナショナルで。スペイン人、ロシア人、誰も通じない(笑)。それぞれが国の言葉しかしゃべれないからジェスチャーでお互いに伝え合って。逆にそれが良かったんですね。だからあまりとまどいもありませんでした。夢をふくらませて、向こうに行けばバレエだけをできると思って行きましたから。

バレエはご両親に勧められて始めたんですね。

両親が、女の子だから姿勢のいい子に育てば素敵だろうなと、という考えで、教室を探してきたのは父だったんです。それで姉妹で習いました。

 

よく聞かれると思いますが、バレエダンサーになろう、これでいきたいと思ったのはいつですか?

バレエの魅力を感じた瞬間というのはさいたまのコンクールでしたね。真っ赤な衣裳に真っ赤なバラをつけてパキータを踊らせていただいた。踊る前に稽古場で鏡を見た時になぜかそこには自分はいなくて、入り込んでしまっている自分がいて、これが私の道、ではないけれど、もうバレエの世界に一直線という感じで。踊るってなんて素敵だろう、と感じたんですね。

やはりバレエに選ばれた人なのだと、改めて感じます。

ほんとですか?昔は私自身は選ばれてない、と思っていました。教室では周りを見て、自分はバレエに向いていないのかなと思っていました。バレエダンサーの可能性がなければ、私からつかみに行く、選ばれにいくという気持ちでした。

早くから大きかったのですか

大きいほうではなかったんですけど、急に伸びたんですね。でも身長よりもバレエに向いた身体が欲しかったので、すごくコンプレックスを感じながら踊っていました。身体を大きく使おう、もっともっと広がるように、と意識し続けることによって、身体も変えてこれたのだと思います。

 

生活にリズムが生まれて

そのプロポーションは今や羨望の的です。私生活でもパートナーに恵まれて。

私の性格からすると文字通りバレエに夢中になってしまうので、彼のようにバレエを好きで知って理解してくれている人でなければ、ここまでやってこられなかったと思います。

バレエ漬けでも一日が終われば家庭がおありだから。

生活にリズムを作ることができますね。もちろん最初はどうなるのかなという不安はありました。子供を産むのは大変なことでもあるし。でもバレエダンサーだから子供をつくってはダメということはないし、バレエをやる前に女性であるから、生む機会を与えてもらえるし、子供ができたら自分自身も成長するんじゃないかなと。私自身もびっくりしているんですけど、実際成長させてもらっているし、子供がいることによって得たものも沢山あります。

 

お子さんはおいくつですか?

5歳になります。男の子でもうすぐ小学校です。今のところ、彼は私たちがバレエをやっていることは理解していて、仕事に行くときなどに「ママまたバレエ?」って言います(笑)。バレエにママをとられていると思っているかもしれないですね。

 

男の子はママが好きだから。(笑)息子さんにダンサーになってもらいたいと思いますか?

私たちはよく話しているんですけど、可能性があって本人がやりたいと言えばやらせてあげたいなと。私たちからしても、やっぱり大変な世界なので可能性がないと思えばほかの道も導いてあげたいし、何より本人がやりたいと思うことを今は伸ばしてあげたいですね。

 

バレエダンサーという仕事のむずかしさ

このお仕事の大変さとは何だと思いますか?

自分自身に意志の強さがどれだけあるかということではないでしょうか。ダンサーは日々レッスンしているわけですが、その1時間とか1時間15分をただレッスンするのか、あるいは身体のラインや表現についてどういう意識を持ってやっていくのか。それを積み重ねていくことによって1年後2年後、大きく差がひらいて変わっていくのではないか、そういうむずかしさがあるのではないかと思います。

舞台ではダンサー同士、コミュニケーションもとらなければならないので、これも大変でしょうね。

大変ですね。特にパ・ド・ドゥは、昔の自分が表現を外に出せない人間だったから、怒ってるの、笑ってるの、悲しいの?それが見えないとダンサーとしてもマイナスになるから、もっとふだんからそういう表現をしなさいと学校時代によく言われていました。

 

日本人は喜怒哀楽をあまり表に出さないから。

ふだんから礼儀を考えたり、思っているけど言わなかったりというところがありますが、海外の方はやっぱり全然違う。ワーッと身体全体で表現して外に出してワーッと去るみたいな(笑)。でもそれだからこそ、言葉なしでも見えてくる。私もそうなりたいなと思った時期がありました。いろんなバレエ団の方、プロのバレリーナの舞台を見ると、そこではポーズもしていないのにすべてがわかるんです。

 

これも有名ですが、学校からシュツットガルト・バレエに入って上り調子の時に怪我をなさって、ほんとうによく乗り越えられて、あとのご活躍がまた素晴らしい。

やっぱり母の力ですね。私は若かったし、あの時はあきらめかけていた。もうバレエはできないと。でも母は、やってみないとわからない、あとからあきらめればいいじゃないとずっと言っていた。それで歩いて冷やして、腫れて冷やして歩いてと、そういう日々を母と一緒に過ごしました。痛いと泣いたり悩んだりしているのをそばで見ながら支えてくれるのは、母にとってもつらかったと思います。回復してシュツットガルトに戻ったけれども、監督からはもう仕事はないと言われて。でもなんとかここまでやってくることができました。

 

dream

Q. 子供のころに思い描いていた夢
子供の頃に描いていた夢は、バレエダンサーになりたい!という風にはまだ思えていなかったと思います。
ただただバレエが上手になりたい…と。
若い頃は、バレエダンサーというものをきちんと理解していなかった部分もありますしどこまでいけば、バレエダンサーなのだと言えるのかもよく分かっていなかったような気がします。
そんな風に過ごしているうちに、いつの間にか自分自身がバレエダンサーと呼ばれるようになっていました(笑)。

Q.これからの夢
今は、とくにこれ!という夢を掲げられるか、といえばないに近いです。
自分の舞台を出来る限り素晴らしいものに仕上げて、たくさんの方に見ていただき喜んでいただきたい。
そして、プライベートの面でもみんなが充実できるよう、自分の力を尽くしたいと思っています。

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