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(2013.5.1 update)

堀内元・堀内充 Garden vol.25

米国から一時帰国した堀内元、日本を拠点に活動する堀内充の兄弟が久しぶりに顔を合わせた。
かつての“芸術の子どもたち”が今も変わらず示すのは、驚異の身体能力、少年のようなさわやかさ、そしてバレエに寄せる純粋な思いである。

早くから始めた振付

ダンサーであると同時に、振付についても早くから興味をお持ちでしたか?

元 僕は最初に振り付けたのは20代半ばぐらい。踊っている20代の頃から振付をしたほうがいいと父からも言われていたけど、ロビンスもバランシンも20代で振り付けていたから、そういった意味では平行してやるように心がけていました。
充 私は21から始めました。私の場合は、日本に戻って日本を活動の場としてやっていく決心をしたんですけど、それなら振付も自分でしっかりと学んで、振付をやりながら踊っていこう、と。父のすすめもあって早々と始めましたね。

お二人は違うけれども、名将名監督ならず、ということもいわれますね。ダンサーだった方が振り付けする場合には別の回路が必要になるんじゃないでしょうか?

元 ダンスの場合はテクニックを教えてくれるということがありますよね、ただ、その舞台でどうやって自分を表現していくかという部分については、自分で学んでいかなければならなかったことがすごくある。振付とはこういうものだというコースもなかったし、振付家は何も教えてくれなかったし、ある意味では自分たちで勉強していかなければならかったというのはあります。
だから充は、ニューヨークではオペラをはじめいろんなことを毎日のように見て勉強していました。そうやって目で見たものを生かす人もいます。逆に僕は踊っているのが忙しくて、実際にロビンスやバランシンの作品を踊ってきたからそれを身体が覚えて、あ、この音が来た時にまたこの振りが戻ってくるなとか、パターンを学べたんですね。そういう実践の経験を活用した。自分が振り付ける時に、三つ子の魂百までじゃないけど、一回学んだものは離れないんだなと思う。今だにバランシンのような振付をしているってこともありますね。野球の長島監督もなんだかんだいっても最終的には功績を残していますし、あいつはいいダンサーだったけど振付はなに?とは言われたくないですね。


 

野球は現役を引退して監督になることが多い。一方、年をとったからそろそろ振付を始めましょうというのは、創造活動としての振付のあり方からするとちょっと違うかもしれませんね。

元 そうですね。振付の場合、踊っていただけの時とは違って、いきなり照明や衣装、音楽も考えなければならないし、管轄が一気に広がる。カウントもとっていかなければいけない。もし音楽の素養知識やデザインを勉強しなければならないのなら、振付を始めるならば若いほうがいいと思う。

西洋人のために西洋人の骨格で振り付けられたバレエ、それを自覚して踊りこむ

カウントについてですが、以前に、踊る時には半拍先にいくということを元さんが話していらした。外国の人が振り移しすると、日本人ダンサーは遅れがちだといわれるんですね。もちろん日本でご活躍の充さんの舞台にも、それがない。お二人とも生まれつき高い身体能力を維持されていて、異様に若い(笑)。

充 その半拍先にいっているという話は興味深いですね。20代30代の頃、よく元が日本に帰ってきて一緒にレッスンして公演に出たんですが、必ず彼の踊りはジャスト、あるいは前に行っている。私は教えている大学でよく言うんですが、双子の兄を見ていていつも自分を直された。踊っていると気づかないうちに遅れてしまっているのを、元によって気づかされたんです。だから日本人が遅いというのはあたっていると思う。

踊りもしないでこんなこと言うのは簡単ですが(笑)、日本人は演歌もそうですが手拍子を打つ時にでも頭打ちで打ちますね。そういうリズム感がDNAの中にあったりして。最近は違ってきて小学校でもアフター・ビートのリズムがとれるようになっているみたいですが、まだどこかで、音をひきずるっていうことはありますね。

充 それは気をつけるようにしています。ただ、意識しないと、民族性なのか遅くなりますよね。

明治から100年以上たってもまだ、ヒール履いて膝まげて足をひきずっている若い人たちもいる。かつての生活様式からくるものはなかなか変わらないのでしょうかね。

元 それはあると思います。やっぱり生活様式は、筋肉の使い方がそのままついてくるでしょう。たとえば椅子からスッとそのまま立てばいいのに、日本人は下の方からよいしょって立つ。そういうところから違ってくる。
充 以前、元が言ったことがありました。私なんかのほうが元より沢山振付していますが、彼はセントルイス・バレエの芸術監督になって本格的に振付を始めて、一気に才能を開花させた。それはなぜかなと思っていたら、彼が、バレエはもともと西洋人のために、西洋人の骨格によって創られたもの。西洋人の骨格で振り付けた時に初めてバレエっていうものがわかる、と。
その時、日本人はバレエをやっている気になっているけど、本来のルーツをもっと感じなきゃいけないと私は思った。今、私は体型もよくなったダンサーに振付していますが、パッセにしても向こうの人のパッセはもっと高いわけだし。いくら日本人の身体が良くなったからといって、自分がそういう気になっちゃいけないということを彼から学びました。我々のかかとは太いけれど、向こうの人たちのかかとはない。メソッドを踊るにしてもどうやっても近づけない日本人の肉体は今後も50年、100年続くだろうと思います。
元 だから、我々はもっと自覚してからバレエを踊りこまないと。

 

大切なのは努力、礼儀。

元さんはアメリカの生活が長くていらっしゃるけど、日本とアメリカの違いは何でしょうか?

元 もっとバレエが身近にありますよね。いい作品をつくらなければ切符が売れないし、寄付金も集まらない。自分の給料も生活と密着しているから真剣味が違う部分もあると思う。僕の場合はダメな作品つくって売れなかったら、あとがないんですよ。だからどうやったらお客さんに来てもらえるか、中西部のセントルイスという都市でお客さんが何を求めているか。NYとは違うけど、いいものはいいという作品。選び方にもあって全幕ものが多いんですけど、コンテンポラリーをつくる時も幅広い観客に受け入れられるような音楽を選び、電子音楽でキンキンいうのは難しいとか、もっと親しみやすいメロディで身近な題材を選んで、良い作品をつくっていかなきゃならない。
日本では現実とあまりにかけ離れた作品をつくる時があるでしょう。やはり日本はほとんど給料制でもないし、そういう土壌の違いがある。セントルイスで「くるみ割り人形」やって今年で12年目ですが、来年もお客さんに入ってもらいたいので毎年手を加えています。その意味でテストの結果はすぐわかる。最初は3000から4000人しか見にきてくれなかった。今は13回公演ですが、今年は1万2000人くらい入りました。そうやって少しずつお客さんが増えてくれると、向上心につながっていくと思う。

日本の若いダンサーにとって、お二人は、作品や舞台に対していかに誠実であるかということのお手本です。だから充さんを佐多先生が信頼しているのがよくわかります。

元 「カルミナ・ブラーナ」に11月また声かけてくれたという話を今日、聞きました。こうなると還暦まで踊るんじゃないのって(笑)。

舞台には充さんのようなダンサーがいることで、周りも自然に頑張ろうと引っ張られていくんですね。踊りも振付も含めてこれだけはゆずれない、ご自分がいやだということはありますか?

元 さっきの誠実っておっしゃってくれたことにも関わるんですけど、とにかく努力しない人は嫌いです。まず努力するのはあたりまえの世界だから。次は礼儀。バレエは礼儀で始まって礼儀で終わる。最初におじぎして始めておじぎで終わる。僕のバレエ学校に300人の生徒がいてアメリカにいながらにしてというとへんだけど、必ず先生にハロー、グッドモーニングの挨拶をして、終わってみんなで拍手をします。生徒一人一人が先生のところにサンキューって言いにいくし、廊下ですれ違ったらハロー、ハーイって言っています。

 

セントルイス・バレエ団のほうでは、最初から最後までクラスを全部受けなきゃいけない。足が痛ければ、最後まで残って先生にありがとうを言いましょう、と。驚いたのは、日本人こそみんなそうしていると思っていたら、最近は日本の人たちが最後までクラスを受けないんでしょう?

充 そう、プロフェッショナルだから最後まで受けなくてもいいって、バットマンタンジュが終わったらしゃべったり、無目的でやめたりする。みんな海外経験があるから、自由でいいと思って海外のそういうところだけ真似る。やっぱりちゃんとしたカンパニーなら最後までクラス受けるのが当たり前だと思う。
元 それが自由だと判断しちゃいけないね。最近、海外に行って就職できないで帰ってくるダンサーがすごく多いから、そういうところだけ真似する。

それはほんとに問題ですね。ところで、カンパニーでは元と呼ばれているんですか?

元 バレエ団員は元とよんで、学校ではミスター堀内とかミス何々。柔道じゃないけどバレエ学校ではレオタードの色が違うんですよ。最初はピンク、次に薄いブルーからブルーになって、ちょっと赤系に入ってワインカラーから紺になって一番上が黒。11階級あって、もちろんレオタード一枚。ワガノワ式のロシアンバレエを見習い、ニューヨーク・シティ・バレエをはじめアメリカのバレエ学校はやっています。とにかくバレエでは徹底して教育をやっていくべきで、そこで礼儀正しくやっていく者が選ばれる、と。海外に出るとだぼだぼのを着てレッスンやって、帰ってきてもだぼだぼのでやる、それはちょっと間違っている。
充 バレエも芸事ですから、フランスのような本家でもしつけを身につけさせるためにやらせていると言う。日本は、マナーがあとまわしというのか、スポーツクラブでもバレエがストリートダンスと同じように踊られているのが残念ですよね。

 

dream

Q. あなたが子供の頃に思い描いていた『夢』は何でしたか?
元 海外に出て(私の場合はアメリカのニューヨーク)活躍すること。そしてそこに残りつつ、アメリカと日本を行ったり来たりして生活の場を広げるということでした。

充 「世界で踊ること」でした。

Q. あなたのこれからの『夢』は何ですか?
元 自分の次の世代にも日本だけにとどまらず、どんどん海外へ活躍の場を広げて行くことの素晴らしさを伝えること。

充 "バレエと共に歩み続けること"です。